安倍政権が掲げる新自由主義とグローバリズム。しかしこれらの導入により、凄まじい格差社会となってしまった国家があります。ロシアもその1つ。国際関係アナリストの北野幸伯さんは無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、当時の留学先・モスクワで目撃したその一部始終を記しています。
なぜ私は、「反グローバリズム」になったのか?
読者のUさんから、メールをいただきました。
メルマガ読者のUです。感想を送らせて頂きます。
北野さんがグローバリズムや新自由主義に反対していらっしゃることを知り、物凄く嬉しかったです。今までてっきりグローバリズム万歳! 新自由主義万歳! 側の人かと思っていました。あのトッドの本を推薦して下さるとは! 僕も中野さんの事は物凄く尊敬しています。
僕は堤未果さんの「沈みゆく大国アメリカ」を読んでグローバリストに食い殺されたアメリカの惨状を知り、危機感を感じました。この本も凄く面白かったので、もしまだなら是非お読みになって下さい。
というわけで、今回は、「なぜ私は『反グローバリズム』になったのか?」をお話したいと思います。
自由がなかったソ連
私がモスクワに来たのは、1990年。19歳のときです。ソ連最末期でした。
この事実をもって、「北野は共産主義者だった」と考える人がいます。私は、一度も共産主義者だったことはありません。というか、モスクワに来た時点で、「共産主義を説明しろ!」といわれてもできなかったでしょう。
事実をいえば、「ベルリンの壁が崩壊した! ゴルビーすごい! ソ連がどうなっているか見てみたい!」という野次馬根性が、留学の理由だったのです。昔でいえば、「黒船見てみたい!」という感じでしょうか?
モスクワに来て、すぐ気づいたことがあります。バスに乗っているとき、笑っている人がいないのです。会話をしてる人もいない。バス内の照明がオレンジ色で、妙に暗かったことを鮮明に覚えています。
「人が悪い」わけではありません。
初期のころ、私はよく地下鉄で迷いました。すると、たいてい人のいいおばちゃんがよってきて、「どこにいきたいの?」と聞いてきます。私が駅名をいうと、かなりの確率で、その電車がでるホームまでつれて行ってくれるのです。
しかし、なんでしょう。おそらく、「自由」からくる「明るさ」とか「快活さ」とかがなかったのです。日本の女子高生のように、「キャピキャピ」している人や、つまらないジョークをいって笑っている人たちが全然いませんでした。
モスクワ国際関係大学に留学しはじめのころ、バルト三国から来ていた学生にアドバイスされました。
「いいかい。ここで平穏に暮らしたかったら、2つのことに気をつけなければいけない。1つは、食堂とか廊下とか、他の人がいる場所で『政治の話』をしてはいけない。2つ目は、電話で『重要な話』をしてはいけない。どこで聞かれているか、わかんないからね」
私は、「笑いが少ない理由」がわかった気がしました。
貧しかったソ連
さて、91年末にソ連が崩壊した。私は、「国が崩壊したら庶民の生活はどうなるのだろう?」と非常に興味があり、ホームステイ先をみつけました。
詩人レオノビッチ一家に6年住ませてもらいましたが、驚いたのは、その「物質的貧しさ」でした。テレビが白黒。洗濯機がない! ビデオもCDプレーヤーもない。しかも、この家族がとりわけ貧しかったわけではない。平均的だった。
私は、「これがアメリカと並び称される超大国の現実か……」と仰天しました。
ちなみに私は、モスクワ国際関係大学で、「共産主義」をみっちり教え込まれました。しかし洗脳されることはなかった。なぜかというと、「理想と現実のギャップがありすぎ」だったからです。
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