愛ゆえに声を失う。本当にあったパリ・オペラ座史上「最大の悲劇」

2015.11.29
by まぐまぐ編集部
shutterstock_53236843 copy
 

オペラをもっと身近に感じられる、無料メルマガ『0からのオペラつーしん!』を発行する、田実志大さん。オペラの奥深さを知るために、多くの人にオペラの魅力について知ることができる、世界でも珍しいマガジンです。今回のメルマガでは、「パリ・オペラ座、最大の悲劇」と呼ばれた、その真実について紹介しています。

 本当にあった悲劇(パリ・オペラ座最大の悲劇)

パリ・オペラ座。現代まで続く豪華絢爛なオペラの殿堂、その舞台で声を失い、泣き崩れたソプラノ歌手がいた。

これはパリ・オペラ座史上、最も悲しい出来事であったと言い伝えられている。

1839年3月8日、フランス人テノール、アドルフ・ヌーリがナポリで投身自殺をした。1830年代当時、彼はフランスを代表するテノール歌手だった。

ロッシーニという作曲家の「ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)」の初演を行うなど、パリ・オペラ座で活躍していた。当時、ロッシーニは非常に人気のあるオペラ作曲家で彼のオペラを初演することは大変な名誉であった。

彼の発声は残っている文献によれば、現代のテノールと異なる発声法ではあったがフランスで人気のある歌手であり、コルネリ・ファルコンという若いソプラノ歌手に発声の指導を行っていた。そしてヌーリとファルコンは師弟関係であると同時に恋愛関係でもあった。

ファルコンも素晴らしい才能をもった歌手であったが、若いうちに声を酷使し過ぎてしまったため、24歳の時には歌手活動を一旦やめ、ヌーリのもとから去ってしまっていた。

時を同じくして、フランスにはジルベール・ルイ・デュプレというテノール歌手が名をあげはじめていた。彼の発声は現代のテノールと近いものとされ、その祖という一説もある歌手であり、力強い高音を発することが出来たと言われている。

そんなデュプレの歌声は次第に人気を集め、ヌーリの地位を脅かした。

print
いま読まれてます

  • 愛ゆえに声を失う。本当にあったパリ・オペラ座史上「最大の悲劇」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け