それでも進める核のリサイクル。新法人「再処理機構」の危ない正体

 

どういうことかというと、原賠法は「原子力事業者が原子力災害を引き起こしたときは、過失・無過失にかかわらず、無制限の損害賠償責任を負う」と定めているのだが、以下の但し書きがある。

ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない。

これを根拠に「免責」を求めた東電や銀行団の動きに対応し、国は政府・電力会社の共同出資で「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」を設立、同機構を通じて東電の損害賠償資金を肩代わりしている。東電に対し、交付国債を原資とした資金を無制限に交付し、東電は事業利益のなかから「特別負担金」という名で返済していくというスキームである。

つまるところ、再処理の安全についての法的な責任は原燃に押しつけておき、万が一大事故が起きた時は、国民全体に負担を求めるということらしい。

まともな考え方とはとても思えない。未曽有の原発災害を経験した国の政府が、ここまでして、実現のめどすら立っていない「核燃サイクル事業」を本気でやっていこうというのだ。

再処理工場がいかに危険をはらんだ施設であるのか、真剣に考えておくべきだ。プルトニウムを取り出すには、放射能を閉じ込めている燃料棒を細かく切断する必要があり、そのために工場内は激しく汚染される。「原子力発電所が1年で放出する放射能を1日で放出する」と言われるほどである。

先述したように、「再処理機構」に資金を拠出させる新方式を採用する理由は、原発を有する大手電力会社が破綻する恐れがあるからだという。それが本当の理由だとすれば、政府が最も危惧しているのは東電の経営状況であろう。

国の支援があるとはいえ、東電は今後も賠償や除染費用を利益の中から、いつ果てるともなくねん出し続けなければならない。見通しの立たない廃炉や、汚染水の問題もかかえこんでいる。

電力小売り自由化の大競争時代をむかえ、東電の体力がもつかどうか。以前なら、カネの力で政治家を動かし、会社の永続をはかることができたかもしれないが、今の東電にさほどの力があるとは思えない。東電を最大の株主とする日本原燃を再処理の事業主体から降ろし、「再処理機構」なる新法人にとって代わらせるような策を考えだしたのも、東電の置かれた状況がかなり厳しいと認識しているゆえかもしれない。

「核燃サイクル」は完全に行き詰っているというのに、このような小細工をしてまで、膨大なムダ金を垂れ流す「再処理」に執着するのは、あまりに異常である。

「再処理」「核燃サイクル」をあきらめることは、すなわち原発推進の国策をやめるということだが、このさい、その決断こそが長期的に見れば国益につながることを認識してもらいたい。

実りがなく、目途もなく、これから何兆円注ぎ込まねばならないかわからず、なにより危険きわまりない「再処理」「核燃サイクル」をきっぱり切り捨て、すみやかに新時代のエネルギー政策に移行すべきである。

 

 

国家権力&メディア一刀両断』 より一部抜粋

著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの構造改革を提言したい。
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