幕末を駆け抜けた坂本龍馬は何を見て、何を考え、何を夢見たのか

 

薩長同盟を実現した交易

龍馬は桂にこう持ちかけた。

長州の四境に幕軍が間なしに参りますきに、外国から薩摩の名義で蒸気船、鉄砲を買い入れ、尊藩に持ち込むというのはいかがですろう。

桂は思わず、龍馬の顔を見直した。幕府の大軍を迎え撃たねばならない長州にとって、これはよだれの出るような好餌である。龍馬は亀山社中の同志を使って、最新式の小銃7,500丁と蒸気船1隻を調達し、約束通り、長州に収めてみせた。

一方、薩摩は長州征伐には参加せず、京都に大兵力を集めて幕府を牽制することとした。西郷はそのための兵糧を長州から借りてくれるよう、龍馬に依頼した。「さしあたって500俵もあればえいですろう」と龍馬は承知して、すぐに山口に行き、桂から快諾を得た。

こうした実利的な助け合いを通じて、薩摩と長州は旧怨を解き同盟関係を築いていった。その掛け橋となったのが、龍馬の働きだった。

実現した海洋立国の夢

兵糧貸与の話がまとまった後、龍馬は下関で貿易を営む大商人伊藤助太夫の家に泊まり込んで、杯を交わした。助太夫は、長州と幕府の戦いが終われば、蝦夷の海産物などを買い入れる交易をしたいと言った。北前船は1隻作るのに千両かかるが、蝦夷へ3度も行けば元手がとれるという。

龍馬は感心した。「まっことのう。蒸気船を使うたらなお儲かるろうねや」

龍馬は今は亀山社中の同志と共に、薩長の必要とする武器などの購入を行っているが、戦が収まれば長崎、下関を根拠地に蝦夷や上海、さらには広東からルソンに行き来して貿易をしたいと考えていた。蒸気船を使えば、パシフィック・オセアン(太平洋)を渡ってアメリカとの交易もできる。それによって国を富まし、日本を異国から守れるだけの海軍も持つことができよう。龍馬の夢は広がっていった。

龍馬はその夢を実現するひまもなく、慶応3(1867)年11月、京都にて何者かに暗殺されてしまった。しかし、海外貿易の夢を抱いていたのは龍馬だけではなかった。「海外貿易の志士森村市左衛門などはその好例である。

さらに神戸の海軍操錬所を淵源の1つとする日本海軍はやがて日清・日露戦争を通じて国家の独立を維持し、英米と並ぶ世界3大海軍の1つとして数えられるまでになった。

龍馬の描いた海洋立国の夢は幕末から明治にかけての日本人全体が共有していたもので、多くの人々の努力によって実現されたと言える。

文責:伊勢雅臣

image by: Shutterstock

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。
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