見る影もない凋落ぶり。参院選で惨敗「社民党」の役割は終わったのか

 

かつての選挙でも改憲を問うていた!

その当時の事象で興味深いのは、自民党は今と同様に「重点政策10項目」に「憲法改正を盛り込まず争点を隠した。それほど憲法の問題は日本人にとってタブーでもあったのだろう。

選挙戦では護憲連合、労働組合、女性団体、学生など、実に72団体が野党を応援。この現象は本当に政党としての力を持っていた表れといえる。全国的に運動は盛り上がり、憲法改憲に反対する有名人のポスター10万枚が全国津々浦々に張られた。結果、社会党は3分の2を阻止し、全体の議席の3分の1を超える80議席と大躍進。改憲勢力が3分の2を獲得することはできなかった。これが、市民に護憲運動が定着したきっかけとなった。

政党の力が拮抗したことも

その後、安保闘争等いろいろあり、社会党も分裂していくが「男女平等」という柱を掲げ、70年代から「男女雇用平等法案」を提出していた。その後ようやく、1986年に「男女雇用機会均等法」が施行される。これは、その当時一つ核となる大きな柱を持っていた表れといえる。

さらに、冷戦終結直前の89年の参院選では自民党の宇野総理(当時)の女性問題もあり、社会党党首の土井たか子氏が「やるっきゃない」と言い、女性候補を次々立て自民を過半数割れに追い込む大躍進を果たした。この結果を受けて土井氏は「山が動いた」という言葉を述べ話題となった。リクルート事件があり金権政治への批判もあったが、社会党を中心とする政党力が一本化し、自民党と対立し合う政党と政党の力がぶつかり合う小気味好い闘いであった。

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