これが教育現場の現実。いじめから逃げ回る教師の聞いて呆れる言い訳

 

ところが、言い訳にしか過ぎないような回答が出ています。「いじめには、行為に至るまでの人間関係や背景が必ず存在するはずである」とか、「子供の成長にとって、人と人のぶつかり合いや葛藤等も必要である」とか、こんな理由で、「これはいじめではない」として、いじめから逃げることを正当化しようとしている教師がいます。これでは、どのような施策を行おうとも効果が出るはずはありません。文科省は、教師としての姿勢、責任の明確化を第一優先で考えていただきたいと思います。必要なのは「教師への道徳教育」です。

教育新聞などによりますと、8月の会議では、いじめ問題に対する「組織的な対応」や、「いじめ防止基本方針の浸透状況」などについて議論されています。いじめ防止法は、いじめに対して組織的な対応をするために、学校にいじめ対策組織を常設することを義務づけています(同法22条)。現場からは、

「いじめは指導力不足で発生するという一般的な考えがあって、特に責任感の強い真面目な教師がその考えに陥りやすく、いじめを一人で抱え込む」

「いじめの定義に該当するものをすべて学校のいじめ対策組織に報告すると、生徒指導担当者の負担が膨大になる。授業を担当せず、生徒指導を専任する教師が配置されれば対応は可能かもしれない」

「小学校でいじめ対策の体制が弱いのは担任制であることが一つの要因である」

等の意見がありました。また、委員からは、「文科省は、いじめはどの学校でも『起こり得る』としているが、どの学校でも『起きている』との認識を持つべきで、その点について見直してもらう必要がある」などの意見もあったと報道されています。

これを受けて、教師のいじめの抱え込みを防ぐためには、

  • いじめは教員の指導力不足で発生するとの考えの払拭
  • 生徒指導を専任で担当する教員の配置
  • 管理職や教委らによる「指導力不足ではない」との声かけ

などが提案されたとのことです。結局、「教師の指導力不足」と言われるのはいやだということでしょう。「いじめが起きるのは教員の責任ではない」というお墨付きをもらいたいと言っているように聞こえます。恥ずかしい限りです。

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