森友学園騒動で議論を避けられた「戦前回帰」の重い空気

 

言うまでもなく、教育勅語は「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」(文部省図書局の公式現代語訳)と、個人の命より天皇の国家に尽くすことの大切さを説いているのである。

幸か不幸か、今回の森友疑惑の発覚で、「教育勅語」に焦点があてられることになった。だが、テレビのニュースワイドショーや報道番組では、元文部省官僚、寺脇研氏らごく一部のコメンテーターがこの問題に言及するていど。司会者やキャスターはそれについての踏み込んだ議論を避けているように見えた

そもそも、森友学園の問題は、その教育方針に安倍総理夫妻をはじめとする政治家らが強く共鳴し籠池理事長らの野心を刺激したところからはじまったのだということを忘れてはならない。

森友学園がそうであったように、「教育勅語を復活させようとする動きがあることにもっと注意を払うべきであろう。

さすがに国会では、教育勅語についての政府の考えをただす次のような質問主意書が初鹿明博議員から提出された。

▽政府は教育勅語が「主権在君」「神話的国体観」に基づいているという衆参の決議の考えを現在も踏襲しているのか

 

▽教育勅語の本文をそのまま教育に用いることは憲法上認められないのではないか

 

▽使用を禁止すべきだと考えるがどうか。

この質問書に対して、安倍内閣は3月31日、答弁書を閣議決定した。その内容は概ね、こうだ。「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導」は「不適切」だが、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」。

どういう意味なのか。教材として用いることじたい憲法や教育基本法に反するのではないのだろうか。天皇が臣民に授ける教えである。親孝行や兄弟が仲良くするなど、普遍的な道徳が盛り込まれているからいいというのなら、何も、教育勅語である必要はないであろう。

日本の歴史と伝統に根ざしているといわれるが、しょせんは国民の団結心を高めるため「神話的国体観」によって明治政府がつくったものに過ぎない。

島薗進・上智大教授(日本宗教史)は「個々人の命が軽んじられた歴史を学ぶためなら必要かもしれないが、教育現場で一方的に教え込む権威主義的な使い方をされかねない」(朝日新聞4月1日付)と危ぶむ。

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