愚痴は周囲の雰囲気を悪化させるので、マナー違反、エチケット違反としては捉えられますが、法律で取り締まるような違法行為ではありません。
人を殴ったり、人のお金を盗んだりといった違法行為は、「本人の自由」というわけにはいきません。マナーやエチケットとも違います。
日本では法律で取り締まる対象となっている行為(傷害罪、窃盗罪)ですから、親や友人でなくても誰からも糾弾される。
しかし、愚痴はマナーやエチケットに近いから、「人前でゲップ」「フォーク並びをせずに列に割り込み」「牛丼屋の紅しょうがを全食い」と同列に考えるのが妥当でしょう。
中には「人前でゲップぐらい、時には仕方ない」「フォーク並びに気づかずについ割り込んでしまうこともある」と理解を示す人もいるけれど、おおむね「褒められた行為ではない」と思われている。
褒められないどころか、嫌がられたり、非難されたり、咎められたりもする行為ですが、するかしないかは本人の自由です。
「自由だから、やっていいだろ。非難される筋合いはない」は違いますよ。
そんなのは身勝手すぎますよね。
「非難や嫌悪を引き受ける覚悟でやるなら、止めることはできない」という意味です。
周囲の人たちに不快な思いをさせているのだから、嫌われたり嫌がらせを受けたり不利益を被ったりするのは当然です。
それが社会的な抑止力となるから、(法律で禁じなくても)マナーやエチケットで通用するのです。
「牛丼屋で紅しょうがを食べ尽くして、無料だろもっと出せなんて言っている人と付き合いたくない」
「ATMの列に割り込みを繰り返して、職場に苦情が寄せられるような者は、それを理由に解雇するのは難しいにしても、昇進させるわけにはいかない」
「いくらお代わり自由だからって、ライスの小を注文して10回もお代わりするような人とは、もうデートしない」
こういった他者の反応が社会的な抑止力となるから、無法状態にならないのです。
愚痴も同様で、「非難や嫌悪を引き受ける覚悟でやるなら、止めることはできない」という現状にあります。
ここが大事なポイントですよ。
「愚痴ぐらい私の勝手でしょ。やめろって言わないで」は通用しません。
愚痴を言うのが自由であると同様に、愚痴を嫌がって「やめて。言わないで」と主張するのも自由です。
「愚痴なんか聞きたくない」と本人に伝えて、「冷たい人ね」と嫌われるのを覚悟で言うなら、自由です。