国連演説で北朝鮮問題を「世界の問題」にした安倍総理の実力

 

北朝鮮との対話は無意味

北朝鮮問題は、本当に深刻な問題です。なぜ解決できないのか? 一番の問題は、北を「緩衝国家」とみている中国とロシアが守っているからでしょう。中ロは、「対話しなさい」「対話しなさい」と主張します。しかし、安倍総理は、そんな中ロの主張に反論します。

これをもたらしたのは「対話」の不足では断じてありません。

北が今のようになったのは、「対話の不足」が原因ではないと。安倍総理の考えでは、「対話は十分したが北にダマされた」と。

94年10月、米朝に、いわゆる核合意が成立します。核計画を北朝鮮に断念させる。その代わりわれわれは、北朝鮮にインセンティブを与えることにした。日米韓は、そのため、翌年の3月、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)をこしらえる。これを実施主体として、北朝鮮に軽水炉を2基つくって渡し、また、エネルギー需要のつなぎとして、年間50万トンの重油を与える約束をしたのです。これは順次、実行されました。

 

ところが、時を経るうち、北朝鮮はウラン濃縮を次々と続けていたことが分かります。核を捨てる意思など、もともと北朝鮮にはなかった。それが誰の目にも明らかになりました。発足7年後の2002年以降、KEDOは活動を停止します。

「だまされた例1」です。

2002年、2度目の危機が生じた。懸案はまたしても、北朝鮮がウラン濃縮を続けていたこと。そしてわれわれは、再び、対話による事態打開の道を選びます。KEDO創設メンバーだった日米韓3国に、北朝鮮と中国、ロシアを加えた6カ国協議が始まります。03年8月でした。

 

その後、2年、曲折の後、05年の夏から秋にかけ、6者は一度合意に達し、声明を出すに至ります。北朝鮮は、全ての核兵器、既存の核計画を放棄することと、核拡散防止条約(NPT)と、IAEAの保障措置に復帰することを約束した。

 

そのさらに2年後、07年の2月、共同声明の実施に向け、6者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまります。

今度こそ粘り強く対話を続けたことが、北朝鮮に、行動を改めさせた、そう思わせました。実際はどうだったか。6カ国協議のかたわら、北朝鮮は05年2月、「われわれは、既に核保有国だ」と、一方的に宣言した。さらに06年の10月、第1回の核実験を、公然、実施した。2度目の核実験は09年。結局北朝鮮はこの年、「再び絶対に参加しない」と述べた上、8カ国協議からの脱退を表明します。しかもこのころには弾道ミサイルの発射を繰り返し行うようになっていた。

「だまされた例2」。決定的ですね。

議長、同僚の皆さま、国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は「枠組み合意」、次には「6カ国協議」によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けたのであります。しかし、われわれが思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は核、ミサイルの開発を諦めるつもりなど、まるで持ち合わせていなかったということであります。対話とは、北朝鮮にとって、われわれを欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。

まさしく「その通り」です。

何よりそれを次の事実が証明します。すなわち94年、北朝鮮に核兵器はなく、弾道ミサイルの技術も成熟にほど遠かった。それが今、水爆とICBMを手に入れようとしているのです。対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。何の成算あって、われわれは三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。

対話は意味がない」と。では、総理は、「どうすればいい」と考えているのでしょうか?

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