アニメ製作現場の窮状が改善されない「クールジャパン」の現実

 

製作飽和と作画崩壊

産業全体の好景気と、アニメ制作者たちの苦境。この2点は当然、相関関係にあります。

TVアニメの制作タイトル数がピークに達した2005~2006年は、業界全体のキャパシティが飽和状態に達した年でもありました。(*1)この頃はパッケージ市場が好況でDVDを出せば飛ぶように売れましたし(厳密に言うと既に下り坂に入ってはいましたが)、テレビでは90年代後半から深夜のテレビ放送枠がアニメのために解放され、数年に渡って安定的で十分な出口が確保されていました。そのためアニメ・コンテンツの活用手段が以前にも増して設けられ、需要が急伸したのです。

結果、製作現場では激務が強いられることとなりました。産業全体にとって仕事が増えるのは本来良いことでしょうが、アニメーターやスタッフが足りないのでは仕事にすらなりません。こうして日本のアニメ業界では、実に特徴的な現象が起こりました。

いわゆる「作画崩壊」の頻発です。放送日時が決まっている一方、多くの作品の製作そのものが間に合わないという不思議な事態になるのです。結果、ひとまず間に合わせのためだけに作品を納品するケースが増え、アニメーション(作画)そのものの質が極端に悪い作品が濫造されることとなりました。

通常、産業規模の拡大は製品の質を相対的に高めていく効果を持つものです。しかし日本のアニメ産業ではそうなりませんでした。当時の「バブル」が残した後遺症があるとすれば、その一つに「コンテンツへの期待値の低下」が挙げられるかもしれません。

質的水準が低く設定されるようになり、こと作画に関して言えば、熱心な視聴者の間で「作画が重視されるタイトル」と「作画には期待すべきでないタイトル」が区別される傾向も生まれました。作画(=アニメーション)、つまり「動く」ことが本質的な価値を持つ表現手法であるにも関わらず、「動くことを期待すべきでない」作品が存在すること自体、本末転倒な話です。

いずれにせよ、近年はそんなピーク時とほぼ同数のタイトル数が制作されているわけです。当時と比べれば業界も幾分常識的な対応ができているようにも思えますが、再びキャパシティの限界が近づいていることを忘れてはなりません。AJAの資料でもこの点への言及はなされています。(*1)

ポイントは、アニメ産業が好景気だからといって、実際のアニメ制作現場の先も明るいわけではないということです。そんな中、アニメ制作者の雇用環境についての問題点が最近になって指摘されるようになったことは、かつてのバブル期に比べ辛うじて一歩前進した証拠だと言える、かもしれませんね。

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