こんな反論があるかもしれません。「起きた事実をすべて伝えるのが報道だ」。
詭弁です。起きた事実のすべてなど報じることはできません。既存マスコミお得意の社論にそぐわない事実を省略する「報道しない自由」だけではなく、ニュースバリューと紙面、放送時間のバランスで、一部を切り取る構造になっているからです。
つまり「再犯を誘発する情報」を意図的に報じているのです。
ロフトの部屋にしたのは首つりをし易いから。あらかじめネットで遺体を損壊する方法を調べていた。ツイッターで自殺志願者を誘った。その後、LINEやカカオトークで会話し安心させた。などなど。
例えばこれらが、BS番組や深夜のニュース、あるいは「検証報道」と銘打っての番組企画や記事ならば、国民の知る権利に答え、社会問題として共有する意義も十分に認めますが、繰り返しになりますが、小中学生の目に気楽に触れる時間と番組での報道にそれを感じはしません。
もちろん、罪に問うことなどできませんが、マスコミが「幇助」しているようにすら感じてなりません。
次に被害拡大の舞台となったとされるSNSについても誤解が広まっています。
かつて「ウェブで政治を動かす」とのたまった人物がいました。典型的な「テクノユートピア論」に過ぎません。
「テクノユートピア論」とは技術開発が進むに連れて、そこには楽園が生まれるという妄想です。古くは足尾銅山、四日市ぜんそく、最近のサイバーアタックなど、技術の進歩が地獄絵図を描く事例は枚挙に暇がないのです。
ネットの発達によるメリットもあり、私もその恩恵で禄を食む側ながら、技術には善悪の意思も区別もなく、その技術を使う人間によって左右されるものに過ぎないということです。