地場産業の担い手を育てろ~発想の転換で生む新戦略
飛騨産業は未来に技術を残すべく職人の育成も始めた。
朝5時半、建物から出てきたのは、会社が作った職人学校の生徒たち。木工の金の卵だ。
職人学校は2年間の全寮制で、帰省できるのは盆と正月だけ。携帯電話は入寮時に没収される。生徒たちは2年間で、即戦力として働ける技術と礼儀などを叩き込まれる。
実践的に学べ、最短距離で職人となれるこの学校は、入学金や授業料は無料。それどころか奨学金として月に8万円もらえる。しかも卒業後の就職先は自由で、他の会社に入ってもいい。
生徒たちの修業は夜も続く。午後8時、教室で行われていたのは道具の手入れ。使った道具は、その日のうちに手入れするのが基本だ。そして学んだことはレポートにまとめる。道具の扱い方から木材となる木についても勉強。ノートから真剣さが伝わってくる。
「自分で言うのもヘンですが、すごく成長したと思います」(2年生・加治志生吏)
ここで飛騨の技術を未来につなぎ、本物の職人を送り出す。
地場産業が生き残る道について、岡田はスタジオで次のように述べている。
「今日まで生き延びてきたのは独自の技術や特色を持っていたから。その特色を現代のニーズにどう合わせるか。発想の転換が必要ではないか。当時作った商品は創業者が新しいことに取り組んだ結果。どんな老舗もベンチャー企業だった。その財産を今の時代にどう生かすか。ベンチャー魂が大事かなと思います」
そんな岡田は画期的な新素材の開発にも成功した。使ったのは杉。戦後、大量に植林し、花粉などの問題を引き起こしているが、家具の材料としては軟らかすぎるため、これまで使われてこなかった。そこで持ち出したのが、飛騨産業が得意とする「曲木」のノウハウ。蒸して圧縮する方法を応用し、杉を硬くすることに成功したのだ。圧縮すれば元の半分ほどの厚みの強い木材となる。
「杉を圧縮して楢などと同じ硬さにすれば活用できるということです」(岡田)
問題児だった杉を価値ある材料に変えた岡田。困難な問題に逃げることなくぶつかり突破口を見出した。
~村上龍の編集後記~
今、「生産性向上」と呪文のように繰り返される。だが、いかにむずかしいか、改めて実感した。
一つずつ改良し、うまくいったら、従業員たちがやっと腑に落ちる、地道な試行錯誤の繰り返し。それ以外に方法はない。
飛騨産業の家具は、過度な装飾がなく、素朴な温もりがあり、実質的でありながら、五感に訴えてくるものがある。
スタジオで椅子に座ってみて、「座り心地がいい」にとどまらない何かを感じた。「立ち上がりたくない」と表現した。「キャッチに使いたい」と岡田さんに言われた。
<出演者略歴>
岡田贊三(おかだ・さんぞう)1943年、岐阜県生まれ。1969年、富士屋社長就任。1995年、バロー副社長就任。2000年、飛騨産業社長就任。
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」
image by: よつ葉乳業公式ホームページ