さて、家事の忙しさが軽減されてくると、子供に手がかからなくなってきたらちょっと働きに出ようかなという女性が増えてきた。そんな中、国民年金というのは本来サラリーマンでも公務員でもない人である、自営業者とか零細企業等の年金に加入できてなかった人達が加入するものだったんです。国民年金ができた昭和30年代とか昭和40年代の頃というのは、第一次産業である農業や漁業の人が就労者の40%くらいを占めていました。
ところがサービス業とかの第三次産業の割合が増えていき、国民年金に加入する人は減っていきました。どういうことかというと、国民年金保険料支払う人が少なくなっていくという事です。今じゃ第一次産業は4%にも満たりません。そうなると国民年金の財政というものが危うくなっていきますよね。実際危うくなっていったんですけどね。
雇用者は昭和30年は850万人くらいでしたが、昭和40年になると1,800万人、昭和50年代になってくると2,400万人、昭和60年過ぎくらいになると3,000万人超えてきたんですね。つまり国民年金じゃなくて厚生年金のほうに流れて行っちゃう。国民年金の財政は危うかった。
しかし、その国民年金財政を支えたのは専業主婦のような任意加入の人たちだった。国民年金の強制加入者は昭和50年頃の2,000万人あたりから減る一方でしたが、任意加入者は増えていった。任意加入者は国民年金ができた昭和36年4月時点では220万人でしたが、それが昭和50年代半ばあたりになってくると750万人くらいまで増えていった。国民全員が国民年金に加入する基礎年金制度ができるまでは、そういう任意加入という不確実な立場だった人達が財政を支えていたんですね。
昭和61年4月になるまでは国民年金、厚生年金、共済組合は別々の制度でしたが、国民年金はその名の通り20歳以上60歳未満の人がそれぞれの職業に関係なく全員加入する形で基礎の年金を持ち、その上に給与や賞与に比例して支給する厚生年金や共済年金になっていったわけです。年金制度は一つの制度に統一すべき(一元化)だって事は、昭和50年頃からの課題でしたが、基礎年金制度の導入によって一元化の先駆けとなったんですね。
昭和60年の年金大改正は少子高齢化を乗り切るために給付を抑制し、保険料負担を抑えるという目的でもありましたが、国民年金を救うための改正でもあったんですねー。
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