ここで、外国人と日本人との交渉のちがいについて考えてみたいと思います。外国人の場合、繰り返し、言葉で交渉しながら、自己主張し、押したり引いたりしながら、納得できるラインをさぐるということが往々にしてあります。これは商売でも同じなのだと思います。日本人から見れば、遠慮や調和が無いように見える自己主張は、外国人にとっては、言葉によるコミュニケ─ション、繰り返しのやり取りを通じて、相手を理解し、立ち位置を確認していくことにすぎません。ですから、「主訴」つまり、言うべきことをはっきりという、言い返されて初めてなるほどと思うという言葉のやりとりは当たり前なのです。
日本人であれば、相手の感情を害するのではないか、と遠慮するようなことも、外国人には、はっきりと論理的に言わなくては伝わらないのです。そして、大概にして、はっきりと言われた外国人のほうは、ひょうひょうとして打たれ強い姿を見せています。自分は自分、相手は相手、言い分が違って当然、と考えているからです。
様々に述べてまいりましたが、結論として、学校は、外国人の方、日本人を問わず、論理的に「できること」「できないこと」をしっかりと説明する必要があります。学校は、善悪について、逃げないで、しっかりと向き合い、いじめなどの問題について迅速に対応することです。
夏休みに入ってから、外国人名の子ども達からの相談を受けています。ご両親から受け継いだポジィティブ思考と正直さ、日本の先生や友人たちとの触れ合いから学んだセンシティブな心、両方をバランスよく保持した彼らが、いずれ日本と世界の未来のため活躍する姿がありありと目に浮かんでまいります。
前名古屋市教育委員会スクールソーシャルワーカー 堀田利恵
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