「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」。福音書の一節は、あまりにも有名です。そして隣人を心から愛していたら、いじめなど起こるはずもありません。教育の現場で頻発する「いじめ」を見つめ続けてきた無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』では今回の記事で、いじめ撲滅のカギとなる「隣人愛」、そして「自己愛」のあるべき姿について論じています。
愛から始まる教育
前回の「未来を創るはずの教育現場で教師に未来を絶たれる悲惨な子供たち」では、小学校の教師、校長として、子どもを育成してきた立場から、「教育が未来を創る」として考えを述べてみました。
教育には、学校教育、家庭教育、社会教育と様々な観点があります。今回は、「誰もができる教育」、シンプルで基本的な教育の考え方について述べてみたいと思います。
みなさんは、「自分を信じ、自分を愛してくれる人がいるから、自分は生きてきた」ということばを聞いたことがありますか。私は、教育の場面で、「私を愛してくれた人がいたから、私は生きている」ということばを何度も聞きました。それは、いじめ問題、家庭問題、病気など様々な問題と向き合い、それぞれの問題を解決した後に、体験者が語ったことばでした。実は、この「愛されていた」という点に気付くことが問題解決のきっかけになると思うのです。そこで、「愛」の観点から、いじめを予防、なくす方法について、考えてみたいと思います。
私は、いじめを予防するのは「愛の魔法」だと宣言したいと思うのです。では、なぜ、「愛」がいじめを予防し、いじめをなくす魔法なのでしょうか。人は愛にあふれ、満ち足りているときには、だれかをいじめたいとは思わないものです。やはり、いじめが起こる時は、加害する子も寂しさや孤独を感じているケースが多いのです。被害を受けた子も、いじめられたことを誰にも言えずに追い詰められ、深刻化する傾向があります。そんな子が「愛されている」ことを実感することによって、不登校や自殺の誘惑に負けずに立ち向かっていく姿を何度も見ました。だから、私は、「愛」がいじめを予防し、いじめをなくすキーワードだと考えます。人と人がつながっている時にその中で愛は循環し、いじめは起こりません。
今まで、たくさんの子どもたちと出会いました。私は、「子どもを信じることは、子どもの本来の姿を信じるということだ」と考えています。「くそババァ」とののしる子もいれば、いきなり叩いたり、けってくる子も中にはいます。しかし、「今の行動は、本来のこの子の姿ではない。怒りにまかせて自分を見失ったら自分の負けだ」と自分に言い聞かせ、「本来のこの子がひらけば、もっと素晴らしい面を見せてくれるだろう」「人を信じられないからこんな行動をしているのではないか」などと、目の前の子どもの「本来の姿」を想像し、子どもがこの行動をやめて本来の自分を取り戻すまで、助けることに徹してきました。時には、信じられなくなる時もあります。しかし、「自分すらも信じていないこの子を私が信じられなくなったら、この子はどうなるのだろうか」と思い、私はただ、その子どものことを信じると思い直すのです。