スポーツ・生活・そして仕事など、大勢の人たちが安心して参加できるよう、同時に物事が円滑に進むように制定されている「ルール」ですが、なぜそれをわざわざ破る人がいるのでしょうか。今回のメルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、ルールを破る人間の行動原理を、精神的・身体的な「不足感」という観点から検証しています。
ルールを守らないのはなぜか
ルールに従うことについて。
自由とルールは両立し、相互に支え合っている関係である。本メルマガ上ではその立場で一貫して書いている。
ルールに進んで従うのはどんな時か。一番わかりやすいのは、スポーツの世界である。試合に出る。当然、ルールを厳守する。破れば、退場あるいは失格等になり、楽しむ以前になるからである。
ルールが試合の楽しさを保証する。つまり、審判がぐずぐずだと、楽しくなくなる。ここは、ビシッと正しくジャッジしてくれるのが一番楽しい。そうでないと、ラフプレーをするチームの独壇場になる。プレーの自由が奪われることになる。
昭和同世代の人にしかわからないかもしれないが、要はルールが通らない世界とは、『北斗の拳』の世界である。暴力がすべてで、悪行が横行する世界である。苦しむのは、力ない民衆、特に子どもとお年寄りである。
ルールをもたらす存在である主人公が「救世主」として活躍する、そんな漫画である。『アンパンマン』はじめ世のヒーローものの漫画は、すべてその構図である。
さて、ルールを破るものはなぜわざわざ悪人側に回るのか。その試合に出たくないからである。ルールが嫌なのではなく、その場そのものが気に入らないのである。
ルールを無視して奪えば、水と食糧が手に入る。要は、体が貧しいのである。ルールを無視すれば、みんなが自分に構ってくれる。要は、心が貧しいのである。
不足感があると、ルールを破る。そのルール上で上手に生きる術を知らないからである。
逆に、場のルールを使いこなせるものは、大活躍する。例えば「困っている人を助ける」という方向は、あらゆる場での「鉄板」である。
ルールを守らないのはなぜなのか。不足感から相手を見ると、見えるものがあるもしれない。
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