日本のマスコミではあまり報じられない海外のメディアのニュースを、本当はどう報じられているのか解説する無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』。今回は、周りからみると笑い話でも当人同士にとっては深刻な事態になりがちな、異文化コミュニケーションの誤解について解説されています。
異文化での誤解は喜劇そのもの、そしてそれは深刻な悲劇
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
訳:人生は近くでみれば悲劇だが、遠目にみれば喜劇である
(Charles Chaplinの言葉から)
【ニュース解説】
文化が異なれば、人は異なる行動様式をもちます。ですから、そんな行動様式に支えられたコミュニケーションスタイルも自ずと文化によって異なってきます。そこから発生する摩擦は、このチャップリンの言葉の通り、一見滑稽でそれをネタにすればジョークにもなれば、一人でクスクスと笑ってしまうこともあるのです。
しかし、そんな摩擦に見舞われた本人にとっては、それは実に深刻なケースとなっていることも多いのです。
ここに一つの事例を紹介します。
私のアメリカ人の友人が日本に滞在していたときのことです。彼は一人の日本人の女性と仲良くなり、付き合うようになりました。
ある日、二人はビーチに行き、夏の海を楽しみます。そして、夕暮れ時に、彼はちょっとムードを盛り上げようと、夕日を見ながら、「こんな美しい夕日をずっと一緒にみていたいね」と彼女に語りかけました。彼女は「うん」と頷いて彼の肩に寄り添います。
さて、翌週のこと、彼女は両親に会って欲しいと彼にいうのです。どうしてだろうと彼は思い彼女に聞いてみると、彼からプロポーズをされたものと彼女は思い、両親に相談をしたというのです。私の友人は、そこまで真剣に彼女と付き合ってはいなかったのです。それで戸惑いながら、「ちょっとまってよ」というと、彼女は当惑し目からは涙。結局二人はその行き違いがもとで別れてしまいます。これは実話です。
ここで、問題になった「こんな美しい夕日をずっと一緒にみていたいね」の一言は何だったのでしょう。
日本人はコミュニケーションをするとき、とかく婉曲になってしまいます。直截にものをいうよりも、一呼吸置いて、言いたいことを比喩や周辺の様子などを語りながら、間接的に伝えることが多いのです。むしろそのようにした方が言葉に重みがあると思う人がいるほどです。
それに対して、英語を母国語とする人は、直接語る内容をそのまま相手に伝える習慣があります。ですから、「夕日をみていたい」ということは、「本当に一緒に美しい夕日をみて、またいつかこんな機会があればいいのに」と言ったに過ぎないのです。言葉通りに自分の思いを直接伝えたに過ぎないわけです。
しかし、日本人のガールフレンドはそのようにはとりませんでした。彼が婉曲にプロポーズをしたと思い込んだのです。
この話を聞いたとき、そこに集まった友人はみんな大笑いをしました。そして、お前は悪い奴だよねといって彼をからかいました。
そう、このエピソードは遠くからみれば喜劇なのです。しかし、実際はというと彼女は傷ついたはずです。もしかしたら、私の友人に裏切られたと思ったかもしれません。彼女にフォーカスしてこのエピソードをみれば、それは深刻な悲劇です。