さて、もう一つの実話を紹介しましょう。それはアメリカに駐在したドイツ人マネージャーのことです。ドイツではビジネスとプライベートをアメリカ人以上にはっきりと区別します。よほど気の合った相手でもいない限り、ビジネス上の関係者と夕食などに行くことはありません。ビジネスはビジネス、プライベートはあくまでもプライベートなのです。
しかも、ドイツ人はアメリカ人のようにあまりジョークを言わず、ビジネス上のミスに対してもそれを細かく指摘しがちです。そんな異なったビジネス文化があるために、そのドイツ人マネージャーはどうしてもアメリカ人の部下とうまくコミュニケーションがとれないのです。その悩みをドイツ人のマネージャーは友人に相談します。
すると、友人がアメリカでは相手に注意をするときでも、まず相手の良いところを褒めなければダメだよとアドバイスしたのです。それは確かに正しいアドバイスでした。
しかし、問題はその翌日に起こります。
彼は、出社してきた彼の秘書に彼女がアレンジをしたスケジュールのミスを注意しようと思っていました。しかし、まずは褒めようと思い、「今日はとても綺麗なスカーフをしているね。素敵だよ」と言ってにこりとしたのです。
さて、アメリカ人の秘書からしてみれば、普段仕事のことで褒められることもなく、嫌な上司だと思っていたわけです。しかし、彼女の服装のことを彼は褒めました。ということは、彼は彼女をビジネスのパートナーではなく、女性として扱っているか、あるいは別の意図があってそんな風に言ってきたのではないかと思います。
その翌週、彼女は会社を辞めてしまいます。そして、その後で、ドイツ人のマネージャーに対してセクハラ訴訟をおこしたのです。
この話も、アメリカ人とドイツ人の行動様式をよく知っている人からみれば滑稽極まりない喜劇です。しかし、本人たちにとって、これほど深刻な悲劇はありません。
我々は、文化の違いに起因した習慣やコミュニケーションスタイルの相違から、多くの誤解を相手に与えています。それはお互い様なのですが、問題はどちらもそれが文化の違いだと気付かずに、相手の性格や悪意と解釈して、相手を誤って評価してしまうことにあるのです。国際間の摩擦の多くは、そうした行き違いに起因して、それが深刻な誤解へとつながってしまうのです。確かに、喜劇こそは、最も深刻な悲劇なのです。
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