すべては野望を成し遂げるため。織田信長「大減税」政策に学べ

 

年貢が安かった信長領

信長は具体的にどのような税制を採っていたのかを見てみましょう。天正10(1582)年3月、信長は、武田勝頼を滅ぼして甲斐、信濃を手に入れました。甲斐、信濃は、河尻秀隆や森勝蔵、森欄丸の兄弟らに与えられます。信長は、このとき甲斐、信濃の両国に対して、国の基本政策というような法令を発しました。

信長はこの法令の最初に関所での徴税を禁止し、二番目で百姓への過度な年貢を戒めています。実はここが信長の施策の真骨頂ではないか、と筆者は考えます。前述しましたように、当時の農民は、領主だけではなく、近隣の有力者などに何重にも税を取られていることがありました。信長はそれを禁止し、農民には原則として年貢のほかには重い税を課してはならないとしたのです。

武田信玄などは、農民に年貢のほかに、多額の「棟別銭」を課していました。棟別銭というのは、家一個あたりにかけられる税のことです。そのため農民たちは、過度な負担に苦しむことになったのです。

では信長は、年貢をどの程度、課していたのでしょうか?信長領全体における年貢率というのは、明確な記録は残っていません。が、永禄11(1568)年、近江の六角氏領を新たに領有したときに、「収穫高の3分の1」を年貢とするように定めています。この地域だけ特別に税を安くするはずはないので、信長領全体もだいたいこの数値の前後だったと考えられます。

収穫高の3分の1というのは、かなり少ないといえます。江戸時代の年貢は、5公5民、4公6民などと言われ、収穫高の4割から5割が年貢として取られていました。また戦国時代は戦時だったので、江戸時代よりも年貢は重かったとされています。だから信長領の年貢率3割というのは、かなり安かったと考えられます。

関所の廃止を断行し、物流を活性化させた

信長は新しく領地を占領するごとに、その地域にある関所を撤廃してきました。これは当時としては画期的なことでした。戦国時代、関所の数は半端なく多かったのです。この関所の存在が、当時の日本の物流を大きく妨げていたのです。各関所では「津料」「駄の口」と呼ばれる通行料)が取られました。「駄の口」というのは、牛馬や積み荷に課される税金です。つまりは、物流税ということになります。

これが課せられると、人は牛や馬をあまり使えなくなるので、交易される物の量が減るし運送のスピードも遅くなります。当時は、荘園が各地に入り組んでおり、荘園の地主が勝手に関所を作ったものですから、関所の数が非常に多かったのです。公家、武家、寺社、土豪などが、私的に関所を作っており、その数は膨大になっていました。たとえば、寛正3(1462)年、淀川河口から京都までの間には380カ所の関所がありました。また同時期、伊勢の桑名から日永までに60以上の関所がありました。もちろんこれらの多数の関所は当然、人や物の流通を大きく阻害するものでした。戦国時代の京都は関所のために寂れたともいわれています。

地域の豪族たちにとって、「津料」「駄の口」は重要な収入源となっていました。それは、地域の武装勢力を肥やすことになり、戦国の世の治安の悪さにもつながったのです。信長が関所を撤廃したということは、それらの弊害を一気に消滅させる狙いがあったわけです。

関所の撤廃は戦国大名にとって命題の一つでした。関所というのは、戦国大名たちにはほとんどメリットはないのです。「津料」「駄の口」の多くは、その地域の豪族、有力者などが勝手に課しているものであり、戦国大名には入ってこないのです。もちろん、戦国大名が自らつくった関所では、「津料」「駄の口」を自分がもらうことができます。しかし、当時、開設されていた関所のほとんどは、大名たちの管轄ではなかったのです。

そのため戦国大名たちは、躍起になって関所を廃止しようと試みました。しかし地域の豪族、有力者などを力づくで抑えるということはなかなかできにくく、関所の廃止は不完全なものでした。

しかし信長は、関所に関しては有無を言わさず廃止してしまったのです。こういう“毅然とした姿勢”が信長の特徴でもあります。

イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの報告書には、次のように述べられています。

「彼の統治前には道路において高い税を課し、1レグワごとにこれを納めさせたが、彼は一切免除し税をまったく払わさせなかったので、一般人民の心を収攬した」

また信長公記では、「これによって旅につきものの苦労を忘れ、それに牛馬の助けを借りるといっそう楽になり、人びとは安心して往き来をし、交流が多くなったので、庶民の生活は安定に向かい『ありがたいご時世、御奉行様よ』とだれもがもろ手をあげて感謝する次第であった」と記されています(「信長公記」原本現代文訳・榊山潤訳)。

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