そして、ペットはほぼ必ず
- 先に死んでしまいます
よね。あ、オウムとか人間より長生きなんでしたよね。んじゃ、犬猫限定ってことにしておきましょう。
で、死を間近に見られるというのが、雑多さにとってイイんじゃないかと思うんです。
大都市の生活では、日常生活の中から完全に死が排除されていますよね。それどころか、むしろ
- 最大のタブー(▼_▼)
ですらある気がします。
毎日食べているお肉だって、モトは命だったわけで、それが食品に加工される過程で、命を失ったんです。つまり死んだんですよね。でも、スーパーに並んでいる物体からは、とてもそんなこと想像できません。そのくらい注意深く、死とか殺とかいうものは取り除かれ、隠されているんです。
ですが、当たり前のことですが、生きていればそのうち死にます。ある意味、老化は肉体の経年劣化であり、その究極の形が死なんですから、アッタリマエの自然現象というべきでしょうか。
それなのに、日常生活の中に全く死がないために、私たちは経年劣化にも死にも
- 慣れるチャンスがない
んですよ。なので、ソレが目の前に現れるとひどく狼狽してしまうんでしょう。ま、眼が溶けるほど泣いた私が言うのもナンですが。
それが、ペットがいることで、わずかではありますが、
- 経年劣化を見慣れ、死を見守る
ことができるんです。
ああ、大丈夫。数頭飼ったところで、慣れすぎて感覚が鈍磨するようなことはナイですから。むしろ当たり前だと思っていても、ソレを見続けるのは多少悲しかったりします。それでも、そのくらいの辛さで済むようにはなりますよ。悲しくはあるけど、泣きすぎることはないという程度に。
人生も生活も、もうちょっと雑多でもいいんじゃないでしょうか。雑多さのためにペットを飼うのはアリですよ(但し、子育てと介護世帯は除く(*゚∀゚*)
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