僧侶の「怪談説法」に客が殺到。人々はなぜ「恐怖」を求めるのか

 

「本当の話は、むごすぎてできない」

――日ごろ語っておられる怪談説法を書籍化した話題の新刊『続・怪談和尚の京都怪奇譚』 (文春文庫)がベストセラーとなっていますね。怪談はどのようにして集めておられるのですか。

三木大雲(以下、三木)「世の中には不条理な出来事で悩んでおられる方が、たくさんいらっしゃいます。そういう方々からおうかがいしたエピソードを、ご本人様からの許可をいただき、本にしたり、お話をさせていただいたりしております。個人情報がわからないように、ところどころを改編し、人を傷つける部分をなくして、そこから得られる教えや学びについて語るというかたちです」

――なるほど。確かに三木和尚の怪談説法を聴いていますと、逸話の提供者への心配りを感じます。

三木「そうなんです。怪談ではありますが、決して恐がらせることが目的ではありません。むごすぎる部分は割愛しております。ですから、実際のお話よりは幾分マイルドになっていると思います。本当の話は、そのまま語るには、あまりにも悲惨な場合が少なくはありませんので……」

▲「怪談説法は決して恐がらせるだけが目的の法話ではない」と語る

▲「怪談説法は決して恐がらせるだけが目的の法話ではない」と語る

「怪談説法」のきっかけは、暴走族だった

――そもそも、どうして法話のなかに怪談を採り入れようと思われたのですか。

三木「きっかけは、10年ほど前のことです。夏のある日、夜中に街を歩いていると、児童公園に暴走族が集まっているのを見つけたんです」

――暴走族の集会、ですか?

三木「目を合わせず通り過ぎようとしたのです。しかしながら、彼らが着ている特攻服の背中に、“天上天下唯我独尊”と刺繍がしてあるのを見てしまったんですよね。天上天下唯我独尊とは、お釈迦様が初めて発したお言葉です。私は思わず彼らに、『私はお坊さんです。君たち、背中に縫ってあるその言葉の本当の意味をわかっているのですか?』と声をかけてしまったんです

――それはまた、勇気があるというか、無謀というか。暴走族は、どのような反応を示しましたか。

三木「もちろん、彼らからのすさまじい罵声を浴びました。『うるさい!』『坊主には関係ないやろ!』『あっち行け!』ってね。ずいぶんバカにされました。このままだと殴られるかもしれない。それほど緊迫した状況に陥りました。お説教なんて、まともにできる雰囲気ではないんです。でもそのとき私は、なぜか『引き下がれない』と感じましてね。なんとかして、彼らと話がしたかった」

――そうはおっしゃっても、血気盛んな若者たちが聴く耳を持たないでしょう。

三木「そうなんです。それでふと、『お坊さんが話す怪談を聴いてみないか?』と語りかけました。すると、みんな『聴きたい』と言うんです。関心を示してくれたんですね」

――夏の深夜にお坊さんが直々に怪談を語るとなると、それはコワいですね。少年たちは興味津々でしょう。どのような話をされたのですか。

三木「私の実体験である『死臭(におい)』という話をしました。私は幼い頃から、もうすぐお亡くなりになる方が放つ独特なにおいを嗅ぎ取る性質があり、それにまつわるエピソードを話したんです」

――嗅覚が優れている方は、人が亡くなる数日前だったり重い病気にかかったりする際に放つ特別なにおいがわかるそうですね。香料を調合しているプロから聴いたことがあります。三木和尚も、そういう能力がおありなのですね。

三木「そうなんです。ある日、本屋さんで立ち読みしていた中年男性から強いにおいがしたんです。私はこの男性の命が危険な状態にあると察知し、『差し出がましいようですが、お身体の具合がすぐれないように感じました。病院へ行かれてはいかがですか』と勧めました。するとその男性が、『ありがとうございます。大丈夫です。私はもう死んでいますから』と言って、眼の前から消えてしまった。そういう体験をしたもので、その時の様子を語ったんです」

――真夜中にその話を聴いたら、確かにゾッとしますね!

三木「みんな、たいそう怖がりました。けれども、そのなかのひとりの少年が、こんな解釈をしたんです。『その男性は、あんたが声をかけたから、安心して消えたんじゃないか』と。誰かに見つけてほしかったんじゃなかったのかって。そう捉えた少年の心のなかにある寂しさが、私にひしひしと伝わってきましてね……。この子たちはこの子たちなりに日々、満たされぬ承認欲求と闘っているんだなと。その時『そうか。怪談というものは、お説法として心に響く部分もあるんだ』と気がついたんです」

▲暴走族の少年たちに怪談を語り、「説法として伝わることがある」と感じたのだそう

▲暴走族の少年たちに怪談を語り、「説法として伝わることがある」と感じたのだそう

――それが法話に怪談を採り入れ始めたきっかけだったのですか。では、その時に怪談を話したのは、少年たちを更生させるのが目的だったのですか。

三木「いやあ、更生させようだなんて、そんな高尚な意識はなかったです。ただただ、眼の前にいる若い人に自分の話を聴いてほしかった。振り向いてもらうための、とっさの判断でした。ですので話をしたのは、お説法でもなんでもない、ただの私の実体験だったんです。怪談を聞かせるという体験自体も初めてだったんですよ」

――三木和尚にとって大きな転機となった夜だったのですね。暴走族の少年たちとの関係は、それっきりですか。

三木「当時に出会った暴走族の少年たちは、その後もつきあいがあります。私がひどく貧乏をしていた時期に食べ物を届けてくれたり、愛知県で修行をしていた時に、わざわざ京都からバイクに乗って会いに来てくれたり。現在も、この寺の境内の掃き掃除をやってくれているんです」

――怪談を発端として、そんな強い絆が結ばれる場合があるのですね。

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