新型コロナは「正しく恐れる」渋沢栄一の教えから学ぶ現状考察

 

より求められる働き方改革

一方、インターネット・テクノロジーは、情報収集等の救いになっていますが、実際に移動や集会が遮断されると社会の経済活動だけではなく、文化活動も阻害されてしまいます。つながりや交わりがない社会には、感染症に伴う恐怖や不安は抑制できても、喜びがありません。

BCからACへの過程で、本当の意味での「働き方改革」を余儀なくされました。社内の朝の会合に集まることだけを理由に、通勤地獄の時間帯に列車に押し込まれて非人道的な扱いを受けていたということに皆さん気づいてしまったと思います。報告事項を共有するための会合であれば、WEB会議で十分です。やらなくても良い不要な業務や作業の発見も多々あったでしょう。

そして、本当に日本は、特に大企業の場合、人手不足だったのでしょうか。もしかすると日本社会において「人手」という資源の最適な分配に課題があったことが、今回の世界的危機を経て見えてくるかもしれません。V型回復への望みが多いと思いますが、同じところへ戻ることはないでしょう。いや、戻してはなりません。

世界各国の現状から比べると、日本の新型コロナウイルス対策に関して内外から色々な批判が聞こえてきます。全く人影がない世界各国の街と比べると、日本では比較的、平穏に人が移動をし、カウンターで並んでラーメンを食べている姿が見えてきます。

これは、日本人が緩いから? 危機に対して平和ボケだから? それとも、足るを知る、分を守るという行動指針を日常の生活慣習に取り入れて、自然と共生できているから? 

「検査、検査、検査」が世界の常識となっている中、日本の検査数の低さが目立ち、ガラパゴス化しているようです。陽性が判明した場合は、無症状でも隔離することで感染の拡大を抑制する措置は重要です。

ただ、検査とは疾患の重症化を予防し、死亡を阻止するものだと理解しています。一方、不安が不安を煽り、無症状者・軽症者が一気に医療機関へ診療に訪れたら、現場のキャパシティを超えて、重症者へのケアが出来なくなり、死亡者が増えるかもしれない。このような医療崩壊は社会として何よりも避けるべき状態です。

私は、感染症や公衆衛生の専門家ではありません。ただ、パンデミックで最優先すべきことは重症者・死亡者の抑制だと思います。このような観点から、各国の死亡者データを人口対比で比較してみました。その国の全員が感染しているという仮定の致死率です。

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image by: shutterstock  

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