日本の元祖“糖尿びと”藤原道長が、もしも糖質制限を知っていたら?

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進行するとさまざまな合併症を引き起こし、命を落とすきっかけとなる「糖尿病」。人類は長い間この病に苦しめられていいます。現存する資料で、最も早くに糖尿病の症状が認められる日本人は、後一条天皇の摂政太政大臣で権勢をほしいままにした藤原道長卿のようです。『糖尿病・ダイエットに!ドクター江部の糖質オフ!健康ライフ』著者で、糖質制限の提唱者としても知られる医師の江部康二先生が、典型的な糖尿病の合併症と思われる症状に苦しんだ藤原道長の病に関する記述を検証します。

日本初代糖尿人、後一条天皇の摂政太政大臣「藤原道長」

日本の歴史の中で、糖尿病と関わりがある有名人はかなりいると思いますが、文献上の初代は、おそらく藤原道長(966~1027年)でしょう。後一条天皇の摂政太政大臣であり、紫式部の『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルとも言われています。

道長は平安貴族のなかでも、栄耀栄華の頂点を極めた人物と言えます。しかし、自ら著した『御堂関白記(みどうかんぱくき)』によれば、30才をすぎた頃から病(胸病)を患っていたようです。胸痛や胸苦しさを繰り返し起こしているので、いわゆる心臓神経症だったのかはたまた狭心症だったのか、まあ、あまり健康ではなかったようです。

51才のとき三条天皇を譲位させ、後一条天皇を擁立して外祖父となり、ゆるぎない地位を確立しました。53才のとき娘の威子(いし)を後一条天皇の中宮としました。

このときの宴で詠んだのが、
「この世をば我が世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」
という有名な歌です。

この歌は、同時代の貴族である右大臣の藤原実資(957~1046年)の著した『小右記(しょうゆうき)』に記載されています。藤原実資は、藤原道長のライバルともいえ、数少ない道長に隷属しない対等の関係の人物でした。

その『小右記』に、道長が51才のとき、「外出中に気分が悪くなり帰途についたが、そのおりしきりに水をほしがっていた」とあります。道長はしばしば口の渇きを訴え、昼夜なく水をほしがり、脱力感にもおそわれていました。これは客観的にみて、かなり進行した糖尿病の症状です。

53才で「この世をば…」を詠んだときには糖尿病はさらに進行していたことでしょう。事実、目の具合がかなり悪くなっていたことが『御堂関白記』に書いてあり、糖尿病網膜症あるいは糖尿病白内障を患っていたと思われます。

道長は、62歳で亡くなりましたが、晩年は糖尿病合併症による症状のオンパレードに苦しめられていたようです。最終的に背中に大きな膿瘍ができて、コントロール不能となり死亡したようです。

栄耀栄華を極めたとは言え、頂点のころには視力低下、脱力感など、決して幸せではなかったと思われます。糖尿人の先達、藤原道長さんのようにならないよう、我々現代の糖尿人はせっせと「糖質制限食」に勤(いそ)しみましょう。

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(財)高雄病院および(社)日本糖質制限医療推進協会 理事長。内科医。漢方医。京都大学医学部卒、同大胸部疾患研究所等を経て、1978年より医局長として高雄病院勤務。2000年理事長就任。高雄病院での豊富な症例をもとに、糖尿病治療、メタボ対策としての糖質制限食療法の体系を確立。自らも二型糖尿病であるために実践し、薬に頼らない進行防止、合併症予防に成功している。

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