為政者の資質なし。学術会議問題が国内外に示した菅首相の人格

 

まだ会長だった山極氏のもとに、新会員として推薦した105人のうち6人が任命から外れたという知らせがあったのは、9月28日のことだった。山極氏は8月31日に新会員候補105人の推薦名簿を内閣府に提出し、そのまま全員が任命されるものと思っていた。青天の霹靂とはこのことだ。

10月11日のコロナに関するシンポジウムの冒頭挨拶で山極氏は「会長であった私がきちんと交渉すべき問題だった」と苦渋の色をにじませた。

「通知が入ったのは、私が退任をする2日前でして、即刻、内閣の方に問い合わせたわけですが、なんら回答が得られず、退任直前になって文書で菅総理にその理由を説明して頂きたいと申しあげたしだいです。残念ながら、今に至るまで任命を拒否された理由は明かされておりません。これは非常に遺憾なことだと思っております。国の最高権力者が意に沿わないものは理由無く切る、問答無用であるというふうに明言することは、その風潮が日本各地に広がることが懸念されるからです。これは、民主主義の大きな危機でございます」(TBSニュース「山極前会長『私がきちんと交渉すべき問題だった』」より)

山極氏の言う「意に沿わないものは問答無用で切る」。まさにそれこそが、菅流人事の極意なのだ。

梶田氏はその間のことは何も知らないまま、会長職に就いた。海千山千の官邸に、いきなり噛みつくのは、梶田氏にとって荷が重いことではある。それでも、たとえ15分といえど、「なぜ6人を外したのか、理由をお聞きしたい」と、携えてきた決議文の趣旨に沿って問いただせたはずだった。

会談を終えて官邸ロビーに出てきた梶田会長に「具体的にどういうやりとりをされたんですか」と質問したTBS『報道特集』の膳場貴子アナウンサーは番組の中でこう語った。

「梶田会長については正直、拍子抜けしてしまいました。当事者のトップとして要望書を携えていったのに、総理に任命拒否の説明すら求めなかったわけですから」。誰もがそう感じたのではないだろうか。

本来なら、梶田会長は「学問の自由」に対する菅首相の誤解を解く手助けをすべき立場である。

菅首相はたぶん、理解が足りないのだ。学術会議の会員人事をどうしょうと、「学問の自由」にはかかわりないと思っている。それゆえ、税金を投じている組織の人事に首相が介入するのは当然だと凄むのだ。

学術会議のメンバーに入らなくても学問はできる。それはそうだろう。しかし、菅首相の任命拒否が「学問の自由」の侵害にならない、というのは心得違いだ。

「学問の自由」には二つの側面がある。一つは、狭い意味での学問の自由。もう一つは、公的な学術機関の政治からの自立だ。

憲法23条の「学問の自由は、これを保障する」は、個人として学問を究めることを妨害されないというだけではなく、大学の自治など、公的な学術機関の政治からの自立を意味する。それが、通常の解釈である。

日本学術会議と政治との関係もしかりだ。政府は学術会議に「諮問」でき、学術会議は政府に「勧告」することができる。互いが独立していなければ成立しない関係だ。

いくら運営費が税金から拠出されようとも、政府から独立した立場を維持しなければ、会議が出した結論は科学的知見として信用されないだろう。

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