歯科医も発見できず。説明の難しい歯の痛みに5年近くも苦しんだ話

 

家に着くと、物は試しといろいろな物を次々に噛んでみた。やっぱり痛い。ただ、どんな物でも痛い訳ではないようなのである。詳しく言えば、軟らかい物の中に混入(混在)した硬い物に当たると痛いのである。全体が均質なら少々硬くても全く問題ないのである。例えば、ご飯の中に時たま紛れている干乾びた米粒を噛むと激痛が走る、といった感じである。他にも、餃子の餡とパリパリの羽根、メロンパンの中と外の皮、食パンの内側と耳、軟中に硬あれば全てアウトである。

しかしながら食パンの耳でさえヤバいとなるとこの歯はいよいよ使い物にはならない。実に私はそれより4年と10ヶ月、ひたすら健側である右奥歯だけの片噛みで過ごすことになるのである。

カルテの保存義務期間である5年を前に、散々に悪くなった歯を見せつけて、あの時の落とし前をつけて貰おうじゃないか、と密かに闘志を燃やしていた矢先、思いもかけないことが起こった。

歯磨きの後、いつものようにフロスを掛けていたら、左下の奥から2番目の歯がポロリと欠けたのだ。フロスには何の手応えもなかったから、欠けるとか割れるとか言うより寧ろ崩れるといった感じだった。鏡で見てみると大きな臼歯の30%くらいが欠損している。欠片の方は干乾びたトウモロコシの粒のようであった。

それ見たことか!私は歯の欠片を小さなプラスチックの容器に入れ、勇んで歯医者に向かった。道中何度も心の中で「それ見たことか!」「それ見たことか!」と叫びながら。

思えば、私はバカである。自分の正しさが証明されるためなら5年にも亘る片噛みの不自由さに耐え、また今嬉々として欠けてしまった大切な己が身体の一部を持ち込んでまで相手をギャフンと言わせようとしている。本当にバカである。「それ見たことか!」というくだらない言葉に一体どれほどの価値があると言うのか。

医者が4年10ヶ月前のカルテなどまるでなかったふうに「じゃあ、治しましょう」と落ち着き払った声で言った時、案内された2番の椅子に座りながら胸の内でそんなことを考えていた。

せめてもの救いは、その医者がご丁寧に今度もまたX線画像の右左を間違えるという間抜けをやってくれたことであった。そんな昔のことなど向こうはとっくに忘れてしまっているに違いなかろうが、しつこい性質のこっちとしては随分と付き合いのいい医者だなと思うに十分な出来事であった。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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