「人事介入」自体が喜びか。学術会議問題で見えた菅首相の人間性

 

無味乾燥な繰り返し答弁を得意とする菅首相が、今国会で、とりわけ頼りにするリフレーンは「推薦のとおりに任命しなければならないわけではない」「内閣法制局の了解を得た」である。

2018年11月に日本学術会議の事務局(内閣府)が作成した文書の存在が最近になって明らかになった。法制局の了解を得て書かれたのであろうその内容が菅首相発言のもとになっている。

憲法15条第1項の規定で明らかにされている公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者の首相が、会員の任命について国民および国会に対して責任を負えるものでなければならない。首相に学術会議の推薦通り会員を任命すべき義務があるとまでは言えない。

この説明、ストンと腹に落ちるだろうか。こじつけの理屈としか思えない。国会に対し、任命は形式的なものと明確に示した以上、それを国会で変更しない限り、上記のように勝手な解釈を持ち出すことはできないはずだ。

もとより、今回の問題は、学者による政府批判を封じ込めるための人事工作を、安倍政権時代の菅官房長官と杉田官房副長官が画策したことに端を発している。

菅首相は「以前から学術会議について懸念を持っていた」と発言している。おそらくは、安保法制に反対する学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の活動などを苦々しく思っていたのに違いない。

現に、菅首相が任命拒否した6人の学者のうちただ一人知っていたという著名な歴史学者、加藤陽子氏も「立憲デモクラシーの会」のメンバーである。

菅官房長官と杉田官房副長官はこう考えたのではないか。学術会議を野放しにしておけない。税金で運営費が賄われる政府機関であり、その会員は公務員に変わりはない。首相が人事権を行使できないはずはない、と。

そして、ついに内閣法制局に杉田官房副長官から悪魔の問い合わせが寄せられた。「学術会議、全員を任命する義務はないよね」というような。

おそらく法制局は83年の国会答弁をもって、渋ったに違いない。解釈変更になると指摘することも忘れなかっただろう。

だが、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更のさい、自ら法の番人たる矜持を捨てた内閣法制局には、抵抗するエネルギーが乏しい。「解釈変更は無しだ」と杉田副長官に迫られて、むりやりひねり出したのが憲法15条第1項、すなわち「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」を利用した説明だ。

国民固有の権利を総理大臣が行使できる。その根拠は「任命権者の首相が、会員の任命について国民および国会に対して責任を負えるものでなければならないから」なのだそうである。

6人は「国民に責任を負える」人選ではなかったらしい。そのくせ、菅首相は6人のうち加藤氏1人しか名前を知らなかったというから驚きだ。

11月5日の参院予算委員会で、近藤正春内閣法制局長官は「どうしても国民に責任を負えないものまでは形式的任命のなかに含まれない」語った。つまり、形式的任命であるという解釈は生きているが、場合によっては形式的任命をできないことがあるという説明だ。

それなら、拒否された6人はそれほどのひどい学者だというのだろうか。学問的業績を知りもせず、不見識にもほどがある。

加藤陽子氏を見よ。日本近現代史の専門家として知られ、学術書は言わずもがな、一般書でも『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞を受賞するなど、高く評価される学者である。

加藤氏は2026年度に開館が予定される新たな国立公文書館についても、内閣府有識者会議のメンバーをつとめており、反政府的な活動など一切していないのだ。

そうした加藤氏の仕事ぶりについて、菅首相は「内閣でお願いしているとは承知していなかった」と、とぼけたことを言う。

菅首相は11月4日の衆院予算委員会で、辻元清美議員の質問に答え、任命から外された6人の名前を、9月24日より前に杉田副長官から聞いたことを明らかにした。99人の任命名簿の起案日が9月24日、決裁したのが同28日である。

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