「人事介入」自体が喜びか。学術会議問題で見えた菅首相の人間性

arata20201112
 

国民が納得できる説明もなされぬまま、発覚から1ヶ月以上が経過した日本学術会議の任命拒否問題。国会で辻褄が合わない答弁を繰り返す菅首相の態度からは、政権の国民軽視姿勢がうかがえると言っても過言ではありません。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、「任命拒否」という行為がどれだけ大きな問題をはらんでいるかを改めて確認するとともに、首相の不見識さと無責任な人間性を批判しています。

国民に責任を負えないから6人を任命拒否したという菅首相の不見識

日本学術会議の任命拒否問題で苦し紛れの答弁を繰り返す菅首相。どうみても打った手が無理筋なのだから、言い分が支離滅裂になるのは仕方がない。

総理大臣が、日本学術会議の推薦する会員候補の任命を拒めるか否か。この問題については、1983年の国会ですでに決着がついている。立法を担う国の最高機関で、政府が明言した法解釈は、国民への約束事である。

それを、内閣法制局を抱き込んで捻じ曲げ、あたかも83年の国会がなかったかのように無法なふるまいをしているのが、今の菅政権の姿なのだ。

1983年5月12日の参議院文教委員会で、この件についてどれほど議論が尽くされていたかを確認してみたい。

当時の学術会議会員は、登録した研究者たちが、立候補者のうちから選挙によって選んでいた。しかし、集票をめぐるスキャンダルもあったようで、学術会議の推薦で決める方式への転換をはかることになり、学術会議法改正案が国会で審議されていた。言うまでもなく、問題となったのは下記の条文だ。

会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。(7条2項)◇

17条の規定とは、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考する、という部分であり、7条2項とこれを合わせると、「会員は、学術会議が優れた研究又は業績がある科学者のうちから候補者を選考、推薦し、総理大臣が任命する」ということになる。

「総理大臣が任命する」をどう解釈するかが、83年の改正法審議での最大の論点になったのは当然のことである。任命権者が総理大臣なら、会員の選考過程にまで介入される恐れがあるのではないか。それでは学問の自由、学術会議の独立性が危うくなる。

社会党参院議員の粕谷照美氏は、同委員会でしつこくこの点を確かめていった。

粕谷議員 「学術会議の会員について、いままでは総理大臣の任命行為がなかったわけだが、この法律を通すことによって、絶対に独立性を侵したり推薦をされた方の任命を拒否するなどというようなことはないのか」

 

手塚康夫・内閣官房総務審議官 「実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するとは考えていない。…仕組みを見ればわかるように、210名ぴったりを出していただく。それを形式的に任命行為を行う。従来の場合には選挙によっていたため任命が必要なかった。こういう形の場合は形式的にやむを得ない。そういうことで任命制を置いているが、これが実質的なものだと理解していない」

 

粕谷議員 「どこのところを読んだら、ああなるほど大丈夫なんだと理解ができるのか」

 

高岡完治・内閣官房参事官 「7条2項の条文を読み上げると、会員は、推薦に基づいて、内閣総理大臣がこれを任命する。210人の会員が推薦されて、それをそのとおり内閣総理大臣が形式的な発令行為を行うというふうにこの条文を私どもは解釈している。この点については、内閣法制局における審査のとき、十分に詰めたところだ」

 

粕谷議員 「法解釈では絶対に大丈夫だと理解してよろしいですね」

 

高岡参事官 「繰り返しますが、法律案審査の段階におきまして、内閣法制局の担当参事官と十分その点は詰めたところでございます」

推薦制度に変更する以上、総理による任命という行為が必要になる。しかしそれは、あくまで形式的なものであって、推薦された全員が任命される。議員が再三にわたって確認した政府の条文解釈は、間違いなくこういうことだ。

それに違反して今回、菅首相は6人の会員候補者の任命を拒否した。なぜ、そんなことができるのか。法解釈を変更したのではない、と言い張るが、それならどのように83年の政府答弁と辻褄を合わせるのか。

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