ホンマでっか池田教授が明かす生物学的な「多様性」と社会の矛盾

 

野外で起きる、外来種と在来種の交雑は気に入らないが、飼育栽培されている動植物は交雑させて様々な品種を作りだすのは許容するという考えもよく分からない。野生動物の交雑は制御できないが、飼育栽培生物はコントロール可能ということなのだろうね。

そういえば、栽培されている野菜や穀物は日本原産でなくても外来種とは言わないというのが、外来種排斥主義者の定義のようだけど、勝手な定義だね。栽培作物であれ何であれ外国から人為的に入ってきた生物は外来種だろう。外来種のなかにも許容できるものと、排斥した方がいいものがあるという考えの方が余程素直だ。人間にとって役に立つもの、アカボシゴマダラのように生態系に大した侵襲を与えないものは、たとえ外来種でも、排斥する必要はない。

野外に放たれた外来種はコントロールできないので、それが気に入らないというのはいかにも都会人の考えだが、そもそも自然や生物が人間の思い通りにはならないのは、自分の体を観察すればわかる。自分の体の老化をコントロールするのは不可能だ。どんなに金をかけても、人は老いて病気になってやがて死ぬ。ヒトの体は自然物だからである。

ところで、長いタイムスケールを取れば、遺伝的多様性が高い生物の方が絶滅しにくいが、短期的な繁栄にとってはクローンの方が効率がいいのは確かである。単為生殖はコストがかからないので、当該のクローンが環境に適応している限り、競争力が高いからだ。

この観点から現代社会を見てみると、労働環境の多様性は経済効率を最優先した資本主義の敵だった。例えば、戦後の日本を世界第二位の経済大国に導いたのは、労働者の働き方の均一化や製品の画一化であった。これによって生産コストを下げ、国際競争力を高めたのである。

しかし成功は失敗のもとである。多くの日本の企業はこの成功体験を忘れられずに、脱工業化社会になっても、社員の働き方や考え方の多様化に舵を切ることができなかった。第一次産業革命(18世紀末から19世紀初頭に蒸気機関の発明により起こった産業革命)、第二次産業革命(19世紀末から20世紀初頭に内燃機関と電気モーターの発達によって起こった産業革命)までは均一化と画一化は生産性にとってプラスに作用したが、第三次産業革命(20世紀末にコンピュータとインターネットがもたらした産業革命)が起こると、この二つは生産性を引っ張る桎梏に転化したのである。(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋)

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