他国に比べて、日本人は控えめで自我を強く出さないと言われています。しかし、今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では茶道裏千家前家元の千玄室さんが茶道を通じて見えた日本人が作り出した文化について語っています。
日本文化の素晴らしさに目を向けよう
日本人は自我を強く出さない民族と言われていますが本当にそうなのでしょうか。
茶道裏千家前家元の千玄室さんは『致知』2月号で、人間に備わった五感を生かした日本の文化の素晴らしさについて述べられています。日本人の「道」ともいえる日本文化のよさを見直してみてはいかがでしょうか。
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「群」という漢字は中国で生まれたもので、偏の君は君主を表し、旁の羊は貢ぎものを表すとされている。この漢字を使い日本人は「島国の群れの民族」と言われ、自我を強く出さない民族と思われているがそんなに単純なものではない。
人間には五感が備わっている。即ち視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚であり、一つでも鈍ると動きが悪くなってしまう。反対に、研ぎ澄まされた感覚を持ち瞬間的に気配など何かを感じることもあり、それを霊感と呼ぶ。インスピレーションを感じたと言う方もおられる。それとは別に宗教的な意識や精神性、物理性を超えたスピリチュアリティー、霊性というものもある。
人は常に相手との「間」を計り、気を合わせる。相撲の立ち合いを見ているとよく分かるであろう。力士が仕切りの互いの気配で呼吸や間を合わせ立ち合う。これは相撲だけに限ったことではない。およそ「道」がつくもの、茶道も含め剣道、柔道すべからく基礎すなわち構えをつくるところから入っていく。
人は日常の稽古やトレーニングで自分を鍛え、どのような間合いであろうと慌てずに入れるようにする必要がある。もちろん、聖人君子ではないので「面倒くさい」「まあ、明日でも良いか」と怠慢になってしまいがちだが、道を究めようとする人はその内面の不完全を見つめることにより、自分の道に対する態度をつくり上げていくのである。
茶道の点前は、客を招きもてなしの心を表す。何もよい道具をこれ見よがしに見せつけることではない。喜んでいただけるように様々に工夫をし、趣向を整えるのだ。床の間に掛け軸、花入れにはさっと自然に花を生ける。利休は、花は野にあるようにと教えられた。自然のままにとはなかなかいかないが、主客共に自然共生を楽しまなくてはならない。
日本人は他の国の人々から見て、個々が素直であるという独自性を持っている。そこから「集」による創造性が素晴らしいものとして生きている不思議な国と思われるのである。
※ 『致知』2月号「巻頭の言葉」より
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