東京五輪に浮かれる日本が思い出すべき冷酷無残な中国共産党との「戦争状態」

 

ただ、こういう「反対派」がいなかったとしても、このオリンピックは盛り上がらなかったのではないかと思ってしまう今日この頃です。と言うより、マスメディアが衰退しつつある現在、「24時間テレビ」同様、オリンピックに熱い想いを抱く人の数は、急速に減りつつあるのではないでしょうか。「笛吹けども踊らず」なぜ踊らないのかと言えば、「仏作って魂入れず」の状態であることを人々が見抜いているからです。

たとえば、かつてヒットラーが「民族の祭典」としてのオリンピックを開催した時、それは「民族」あるいは「国家」という人間個人を超えた存在の集う「祭」であり、単なるスポーツイベントではなかったのです。このように、「祭典」や「祝祭」の主役は、人間を超越した「何か」でなければいけません。

1964年の東京大会においては、この「何か」は「世界平和」でした。人々はオリンピックというものが「平和の祭典」であると、かなり本気で信じていました。現に、冷戦下で暗闘を繰り返していたアメリカとソヴィエト連邦の選手団が、共に東京の地に集ったのです。スタジアムを埋め尽くした満員の観客からは、政治体制の違いを超えて、各国の選手団に熱心な歓迎の拍手が送られていました。

今となっては、あの冷戦下の緊張がどのようなものであったかを想像することはできないかもしれません。しかし、アメリカ人もヨーロッパ各国の人たちも日本人も、もちろんソ連や東側の国々も、皆、敵の核ミサイルが自分たちの頭上に落ちて来るかもしれない、という恐怖を常に心の底に持ち続けていたのです。実際、米国の豊かな階層の人たちは大金を投じて庭に「核シェルター」を作っていました。

そして、当時日本の人口の大半を占めていた戦争体験者にとっては、空襲の恐怖はつい先頃に起きた現実でした。さらに第二次大戦が終わった後も、日本のすぐ隣の朝鮮半島では、戦争で膨大な血が流されました。東京タワーは、朝鮮戦争で破壊された戦車をリサイクルした鉄材で建設されたのです。

ですから、日本国民のほとんどが、古代オリンピアードの神話を信じ、クーベルタン男爵の理想を信じ、「平和の祭典」を現実のものとすることに協力を惜しみませんでした。その背景には、消し去ることのできない戦争の記憶と、冷戦の現実があったのです。そして、日本国民の多くが、「平和の祭典」という神話が現実化するように、祈るような気持ちで、世界の国々からアスリートを迎え入れました。

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