ためらいと鼓動に共感。芥川賞『貝に続く場所にて』が伝えた東日本大震災

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2021年7月14日。復興五輪を謳う東京オリンピック開幕のおよそ1週間前に発表された第165回芥川賞に、東日本大震災が重要な役割を果たす『貝に続く場所にて』が選出され、大きな話題となりました。この作品を高く評価するのは、被災地となった仙台市出身で震災ボランティアとして活動した経験も持つ、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」を運営する引地達也さん。引地さんはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で今回、これまで東日本大震災を題材とした小説や映画、ドラマなどを避けてきた自身が、『貝に続く場所にて』に共鳴する理由を本文を引きつつ詳述。その上でこの作品に対して、「凛とした小説」との賛辞を送っています。

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芥川賞『貝に続く場所にて』の鼓動から生まれるもの

2011年3月11日の東日本大震災でボランティアとして支援活動をしてから、震災を題材にする小説や映画、ドラマなどを私は避けてきたような気がする。

メディア研究の一環として、それを分析的に捉えようとしたこともあるものの、自ら率先して向き合ってはこなかった。

それは演出される映像や表現された言葉と、そこにあった現実とに大きな乖離があること、を突き付けられるのが怖いからである。

いまだに波に浚われ海から戻らない人がいる中で、なおさらに言葉は無意味となる。

震災から10年でもその感覚は変わらないものの、その言葉にするためらいを文学にしたのが第165回芥川賞受賞作『貝に続く場所にて』(石沢麻依著)だと解釈した。

ためらいにも確かな鼓動があり、それは伝わる。

震災時、仙台の内陸で被災した作者は「海も原発も関わらなかった場所にいたこと。

そのことが、あの日の記憶と自分の繋がりを、どこかで見失わせている」と書くその感覚に強く私も反応する。

その見失った繋がりを結ぶのがメディアであるが、それは心の問題とは別である。

この小説は震災で海に流され還ってこない研究室の同僚が主人公の住むドイツ・ゲッティンゲンに幽霊として現れることから始まる。

この幽霊と主人公との対話は最小限だ。

様々なドイツの街並みや人物が登場して物語は構成されるが、震災の描写が多いわけではない。

それでも当時を伝える事実はためらいながらも雄弁だ。

「破壊された顔は、三月が訪れる度に、再生や復興という言葉で化粧が施されようとする。その度に、失われた顔は幽霊のように浮かび上がる。そして、それを無理に場所にはめようとする時、それは単なる願望の仮面を押し付けているのに過ぎなくなるのだろう」。

この願望がためらいなく語られてきた。

頑張ろう、頑張れ、と。

私自身、そことは距離を置きたかったから、この作品の表現は私の心にそっと入ってきて勝手ながらの共鳴を確認する。

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