親の沽券(こけん)
親の沽券ってなつかしい言葉かもしれません。カタカナにしましょう。コケン。昔の頑固おやじみたい。
でも今もありますね。一番大きいのは、間違ったことをしたり、言っても、親が謝れないことです。子どもに対して。
うちの親もそうでした。父も、母も。
「お父さん、この間話してくれたことと違うって本に書いてあるよ」
小学生の私がいうと、父の返事は「うるさい」でした。どなられたこともあります。
「お母さん、この間違うことをいっていたじゃない」
返事は「子どものくせに」でした。「そんなこといってないわ」ということもありました。
子どもに謝るのは「コケン」にかかわると思っていたのでしょうか。謝ることも、間違いを認めることもありませんでした。
でもそれは、「まちがっても、謝らなくていい」と子どもに教えていることですよね。私は成長してから、親を尊敬できなくなりました。
まちがっていたら、忘れていたら、子どもに謝る。当たり前のことです。
今は多くのお母さん、お父さんがしていることだと思います。
でももしも、「子どもに謝るなんて…」と思ったら。
「ありがとう」の気持ちで謝ればいいと思います。
「まちがいを教えてくれてありがとう」くらいの気持ち。
「あら、忘れていたことを教えてくれてありがとう」
謝るのが下手な人がたくさんいます。私もそうでした。社会人1年生の時、ミスを連発しても、すぐに謝れませんでした。とっさに頭が真っ白になって謝ることを忘れ、タイミングを逃して謝れなくなり…。
苦しかった。まちがったことも、謝れないことも。
すぐに謝れないと、謝りにくくなって、どんどん苦しくなりますね。
ある時に思いっきり頭を下げて謝ってから、楽になりました。
楽というのも変ですけど。すぐに謝れるようになって、ほっとしました。当たり前のことができることに。
ただ、へらへらっとすぐに謝って、すぐまた同じ間違いをするのはいけませんけど。
社会人1年生は周りはみんな先輩。だんだん後輩もできて、部下もできたりするかもしれません。でもまちがったら謝る。後輩にも、部下にも。
子どもに対してもそうです。軽いことから重いことまで、育児では様々なことが起きます。
うちであったことや、聞いた話では…
「おやつ買ってくれるって言ったのに、買ってくれなかった」
「ごめんね。お店がなかったのよ」
「ぼくのカップをこわした!」
見えないようなはしっこに置いておいたから…という言葉を飲み込んで、まず
「ごめんね」
そのあとで、注意。
「お母さん、ぼくを叱ったけど、ぼくはやってないよ!」
ケンカや暴力で、先生や相手の親から責められて、叱った後など。
「ごめんね。先に話を聞けばよかったね。ちゃんと聞かせて」
多くの場面があります。親子だけではなく、周囲に人がいて複雑になることも増えます。
謝ればいいというわけでもありません。誰に対して謝るのか、その前にすることは何か。考える。
「今さら謝れない」くらい時間がたっていても、話をしてみる。本人はおぼえていないことも多いです。
でも、謝ることは大事です。自分を認めてくれている、と感じてくれます。
謝るだけではなくて、子どもの話を聞く。子どもは、自分を守るためにうそをつくこともあります。でもウソをつかせているのは、親のせいかもしれません。
こわい。聞いてくれない。叱られる。
「叱らないから話してごらん」といっても、叱ってしまうことも多いです。そんなときも、はっと気がついたら「ごめん。先を聞かせて」と自分を落ち着かせましょう。
私だってできていません。よく叱りました。
学校から呼び出しを受けて、
「何をしたの?」
「胸ぐらつかんで、ドンってドアに押した」
「それはひどいじゃない!」
思わず言うと、
「だから呼ばれたんじゃない」
と。
「そ、そうだったね…」
トホホ…。
そんなこともありました。これは中学の時。
だから私だってできていないのですが。今も、できるようになりたいって、思っています。
世の中の全てのお父さんお母さんに優しく寄り添う川ノ森千都子さんのメルマガ詳細・ご登録はコチラ