突然ですが、みなさん鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記』(ほうじょうき)っておぼえていますか? 学生時代に冒頭の部分を暗記させられたという方も多いのではないかと思います。そう、
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、 久しくとどまりたる例なし。
というアレです。作品の中身はおぼえていなくても、『平家物語』や『徒然草』と並んで「学生時代に冒頭部分を暗記させられる古典ベスト3」としておぼえている日本人は少なくないでしょう。実は、この『方丈記』がいま注目を集めているのです。
なぜ現代に『方丈記』なのか? そのヒントは日本人、いや全人類を襲った「未曾有の危機」と深く関係しています。日本で言えば2011年に起きたM9.0の「東日本大震災」、そしていまなお世界を震撼させている「新型コロナウイルス感染症」の蔓延です。
いまだから『方丈記』のワケ
では、なぜ震災や疫病(新型コロナ)を経験したら『方丈記』が注目されるのか? その答えは「私たちが当たり前と思っていた生活様式って、まったく持続可能じゃなかったのか」と気づいてしまった……つまり「この社会って全然当てにならねーじゃん」という危機感をおぼえたこと、そうした感情を持ったことが「日本人の無常観を表した最高傑作の古典」と呼ばれる『方丈記』を再評価することに繋がったようです。この作品が書かれた800年前も、そして現代も、みんな社会や世の中に対して感じる「虚しさ」や「はかなさ」は同じなんですね。。
さて、『方丈記』作者の鴨長明といえば、京都・下鴨神社の禰宜(ねぎ。神職の最高官位)の次男として生まれるも、18歳のときに死去した父の跡目争いに敗れた後、鴨川のほとりに小さな小屋を“インディーズ”で建てて暮らし始め、さらに出家して山奥へと引っ越し小さな5畳ほどの「方丈庵」という庵(いおり)に住むという「隠居生活」を実践。そして死去の4年前に日本古典文学の名作『方丈記』を書き上げた、平安後期〜鎌倉時代の随筆家です(享年62歳)。
この世をはかなんで山奥に籠り、「本当の幸せとは何か」「自分はどう生きていくべきか」を、他人や周囲に影響されることなく自分の頭で考えて一つの文学作品にまとめた、そのことが高く評価されているのです。まさに、震災後の日本、コロナ禍後の世界に生きる私たちに必要な一冊ではありませんか!
そんな『方丈記』を現代語に訳し、いま我々が日常から感じる「無常観」が800年前からいかに変わっていないかを淡々と綴った一冊の本が出版されました。それが、30代男性による等身大の「方丈記」新訳+読み解き本であり、コロナ禍以降の日常を生きる私たちにとって、もっとも読みやすく、もっとも分かりやすい「方丈記」入門書、『フツーに方丈記』(2月15日発売、百万年書房)です。
そんな本を著した人は誰かと言えば、鴨長明よろしく約6年間も東京郊外の小さなアパートに住み、週に2日間だけ働いて年収たった90万円の「隠居生活」を実践していた、メルマガ『大原扁理のやる気のないラジオ メルマガ版』著者で作家の大原扁理(おおはら・へんり)さん。
大原さんは、投資などの「不労所得」もなく、ITを使って収入を得ていた訳でもなく、もちろん親のスネをかじる「仕送り」をあてにもせず、介護の仕事に週2日だけ従事し、年収100万円以下で「普通にハッピーに暮らして」いました。そして2016年には台湾へ移住し、さらにディープな「隠居生活」を海外でも実践していたのですが、現在は昨今のコロナ禍の影響で帰国し、日本で生活しています。
このほど出版された『フツーに方丈記』は、大原さんがメルマガ『大原扁理のやる気のないラジオ メルマガ版』にて発表してきた記事を一冊の単行本にまとめたもの。さて今回、そんな気になる一冊の中身を特別に「チョイ見せ」してご紹介します。
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なぜ、いま方丈記なのか(まえがきにかえて)
突然ですが、人って、いつかはわからないけど必ず死にますよね。 そりゃあもう死ぬ。死ぬったら死ぬ。 何をそんなわかりきったことを、と思われたでしょう。 でも、いつか必ず死ぬのに、そのために何かをしているのかと問われたら……「特に何も」と答える人が多いのではないでしょうか。
私の積年の疑問に、「人はいつか死ぬって、みんな頭ではわかってるのに、なぜ死にそうになると慌てたり、後悔したり、怖くなるのか 」というのがあります。
理由は複数あると思います。
ひとつは、それを経験したことがないからわからない、という未知の恐怖。これはわかります。ていうか、死んでたら今この文章を私が書くことも、あなたが読むこともないわけで、 全人類共通の未解決問題であるからして、誰にもどうなるのかわからない。私だって死に際には死ぬほどジタバタするかもしれません。
もうひとつ。私が想像するのは、未練です。明日死ぬとなった時に「ああすれば良かった、 こうすれば良かった」という未練が多ければ多いほど、死にたくなさがグーンとUP!でも、こっちなら生きてるうちに対策のしようがあります。「どう生きれば最期に満足して死ねるか 」を今のうちからでも考えて、日々実践していけばいい。
と、言うのは簡単ですが。
いつの世も、この「どう生きれば最期に満足して死ねるか 」は至上の難題みたいです。
わからないので、とりあえず「世間ではどう生きるべきとされているか」に自分を合わせておく。もしくは「いかに最期(死)を考えないようにするか」に照準を絞って、答えをずるずる先送りにする。
たぶん、現代社会で多くの人が採用しているのはこのどちらか、あるいは両方の「その場しのぎ」だと思います。
でも、その場しのぎをどんだけ重ねても、所詮はその場しのぎ。「世間ではどう生きるべきとされているか」は、世間一般向けに設定されているものだから万人に合うわけないし、どれだけ考えることを避けたところで、死からは何人たりとも逃げ切れないんですよね。
自分の生を他人に生きてもらうことができないのと同じく、自分の死を他人に死んでもらうこともできない。誰だって必ず「どう生きれば最期に満足して死ねると、世間ではなくあなた自身が思うか 」に強制的に向き合わされる時が来る。
たとえば、ケガや病気などの個人的危機。さもなければ、災害や紛争などの社会的危機として。
私たちにとって、 2020年に始まったコロナ禍はそんな危機だったのではないかと思います。
社会の機能はあちこちでストップし、仕事や学校、娯楽、生活のあらゆることが立ち行かなくなりました。人々は不安や疑念や恐怖にとりつかれ、真偽の曖昧な情報が錯綜し、コロナに感染した人や感染を疑われる人たち、地域外から来た人、また医療や流通などエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちへの差別や攻撃が蔓延しました。私が覚えているものでは、県外ナンバーの車を見つけて傷つける、特定の外国人の入店を拒否する張り紙が店頭に貼られる、医療従事者がいる家庭の子どもが保育園の登園を断られる、などです。
私は、すべての不安は突き詰めると「死」への恐怖につながっていると思っています。だけど、コロナじゃなくたって人は死にます。というか、日本ではコロナ前の平時のほうが死者の数は多かったのです。厚生労働省の人口動態統計によると、2020年は「死亡数は137万2千755人で、前年の138万1千93人より8千338人減少し、11年ぶりの減少」となっています。細かく見ても、肺炎(新型コロナなどを除く)・心疾患・脳血管疾患・インフルエンザ・不慮の事故、いずれも前年より死者数は減少しています。
それなのに、コロナであっけなく大混乱に陥った私たち、あんなに簡単に持続不可能になった私たちの生活とは一体何だったのか? そして私たちは、これからどう生きていけばよいのか?
方丈記と私
方丈記には、それに対するひとつの答えがあると、私は思います。
ご存じのとおり、方丈記は鎌倉時代に鴨長明という僧侶が書いた随筆です。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
という冒頭はあまりにも有名で、国語の授業で必ず取り上げられますよね。私も冒頭だけは知っていましたが、高校生の時にそれを読んでも「で?」ってなもんで、授業が終わると同時に忘却の彼方にポイ。
よく〝日本人の無常観を表した作品〞とか言われますけど、人生これから!っていう高校生にとって、物事が移り変わっていくことは「流行」で、流行とは刺激的なエンターテインメントでしかないわけで、「もののあはれ? 何じゃそれ」というほどの感想しかなくてもむべなるかな、です。
時は流れ、20代も半ばに差し掛かったころ、私は世をはかなみ、東京郊外で自称・隠居生活を始めました。社会と距離を取りまくり、労働も消費活動も最低限にして、週休5日でハッピーに暮らすことにしたのです。
……と書けばカッコいいですが、なんのこっちゃない。他の人がフツーにやってるような経済活動が向いてなさすぎて、自主的にドロップアウトしただけです。(中略)
さて、自称・隠居生活を始めて間もなく、東日本大震災が起こりました。東京在住だったので直撃というわけではなかったのですが……というか、直撃ではなかったにもかかわらず、 東京ほどのメガロポリスが即機能不全に陥った衝撃は今でも忘れられません。
私たちが当たり前と思っていた生活様式って、まったく持続可能じゃなかったんだ……。
あの時に感じた「この社会って全然当てにならねーじゃん」という危機感が、社会や他人に任せず、自分にとって必要なものをなるべく自分でまかなう「隠居生活」へと私を導いたのかもしれません。後付けかもしれないけど、今となってはそう思います。
私が初めて方丈記を通して読んだのは、自称・隠居生活も板についてきた頃、東日本大震災発生から2〜3年後だったと思います。
それならフツーに2013〜2014年頃と書けばいいものを、わざわざ東日本大震災を起点にしたのは、やはり読みながら震災後の私たちの生活と引き比べずにはいられなかったから、です。
だって、鎌倉時代に書かれたものなのに「あれ? これってつい最近あったことじゃん!」と思わずにいられないほど、人々が悩み、戸惑い、苦しむ様子が、東日本大震災後を生きる私たちとそっくりだったんです。正直、かなり驚きました。(中略)
そんなこんなで、コロナ禍の緊急事態宣言下でもあらためていろいろと読み返したのですが、感想は震災後に読んだ時と同じ。
この人類の成長してなさたるや‼︎ (笑)
と、同時に、ものすごく安心もしたんですよね。
な〜んだ、どんなに新しい地震や疫病に見舞われたって、結局起こることは800年前とほぼ同じなんだな。800年前と同じなら、この先も変わらないんだろうな、と。(中略)
この本は、私なりに方丈記を現代にアップデートする試みです。そう、枕草子、徒然草とならんで日本三大随筆との呼び声高い古典文学です。超とっつきにくそうでしょ? でもご安心を。
この本にはアカデミックな狙いは微塵もありません(というか学者ではないので、私にそんな力はありません)。方丈記の和漢混合文が後の日本語に与えた影響とか、原文に隠された先行作品へのオマージュとか、そういったことはほぼスルーします。
でもですね、こう言っては厚かましいけれども、日本に連綿とつづく隠居の系譜の末席を汚している令和の隠居(私)としては、方丈記に描かれた平安時代と似たポスト・コロナの現代において、鴨長明そして方丈記以上に気になる存在はありません。
あなたが本書のどこかに、不安な日々を生きるための道しるべを見つけてくださったら、著者として望外のよろこびです。(『フツーに方丈記』百万年書房「まえがき」より一部抜粋)
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だから、いまこそ『方丈記』
……いかがでしたでしょうか。 「いかに『方丈記』がいま読まれるべきか」という理由の一端を垣間見れたのではないかと思います。
大原さんが綴る『方丈記』が読まれるべき理由や、自身の「隠居生活」体験について書いたエッセイ「コロナ禍に方丈記を読みながら考えたこと」、そして『方丈記』全文を大原さんが現代語に訳した「あたらしい方丈記」、さらには「方丈記原文(総ルビ)」まで収録した『フツーに方丈記』は、アマゾンやリアル書店で絶賛発売中です。本文の気になる続きは、ぜひ本を実際にお手に取ってお確かめください。
なお、冒頭にも書きましたとおり、大原さんは現在、メルマガ『大原扁理のやる気のないラジオ メルマガ版』を発行中で、今後も新刊に向けた執筆中の原稿を連載していきます。こちらのメルマガご登録も是非一度ご検討ください。
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最後に、ご参考までに本書の目次を以下にご紹介いたします。この章タイトルを見ただけでも、大原さんの「隠居生活」や『方丈記』に対する考え方に興味が湧いてきたのではないでしょうか。
『フツーに方丈記』目次
なぜ、いま方丈記なのか(まえがきにかえて)
Ⅰ あたらしい方丈記(大原扁理・監訳)
Ⅱ コロナ禍に方丈記を読みながら考えたこと
1 日々は無常のレッスン
私の隠居人生
帰国中に国境封鎖
ないと困るもの、なくても困らないもの
地元が とは限らない
親の介護、という問題
隠居生活の崩壊
ゆく河の流れは絶えずして2 私たちが社会に依存する時、社会も私たちに依存している
今ココにいる人間中心主義
人間は人間だけで生きてるんじゃない
自給自足という安心
コロナ禍と実体経済
東京は多様性の街
社会と個人、その健やかな関係性
宝くじの効用
お金の身になって、コロナ禍を考える
隠居はコロナにまあまあ強い
自立できない人もいる
ドキュメント・実家暮らし3 人間らしさとは何か
自分を必要とする
つながるってどういうこと?
経済と命、どちらを優先するか問題
命の優劣
想像力という解決法
想像力の欠点
「役に立たない人は死んだ方がいい」
居るだけで全肯定
弱さで「私たち」を広げる
方丈記は私たちの物語4 いいじゃないですか、大したことない人生だって
死は怖くない
「善処」VS自己決定権
主体的な死
生殺与奪の権
四住期という考え方
死の主体性は離島に在り
エンディングノートとリヴィング・ウィル
鴨長明の死生観
本当の安心って?
人類の夢、自主返納します
それでも残る疑念……Ⅲ 方丈記原文(総ルビ付)
『フツーに方丈記』1,760円(2月15日発売、百万年書房)
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image by: 河合神社内にある長明の方丈庵 Yanajin33, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons