プーチンに忖度か。“宗男の娘”が「ウクライナ大使の外相面会要請」を放置した裏

 

鈴木宗男氏は2月28日の参院予算委員会で質問に立ち、このように述べた。

「ウクライナ問題で国際法違反だという言葉が出てくるが、何の部分で言うのか」
「国連憲章はあっても国際法は明文化されていない。このことははっきりしておいたほうがよい」

ロシアのウクライナ侵攻はあってはならないこととしながらも、質疑のほとんどがプーチン擁護に費やされた印象だった。

鈴木宗男氏は今年1月8日、トークショーで「プーチンさんは日本を理解している人情家」と発言したらしいが、このようなプーチンべったりの姿勢が、ウクライナ大使の面会申し入れに対する鈴木貴子副大臣の対応にも影響していないだろうか。

鈴木副大臣は「私が大臣の面会要請を止めていたことはない。私自身が大使との面会要請を応じなかった、拒んでいたとの論調の報道があるが、それについても事実無根」と否定した。

しかし、週刊文春2022年3月10日号に外務省関係者の次のようなコメントが掲載されている。

「ロシアがウクライナ東部の親ロシア派支配地域の独立を承認した(日本時間)22日前後のこと。貴子氏が“今は制裁を議論するべきタイミングではない”という旨を主張したのです。米国ではいち早くこの2地域に対する経済制裁が発表されており、日本でも制裁が検討されるべき時期だった。そのため貴子氏は、ロシアへの制裁に後ろ向きなのだと外務省内で受け止められました」

鈴木副大臣がロシアとの関係維持にいかに腐心しているかがうかがえる。ウクライナ東部2地域の親ロシア派指導者24人の資産凍結を日本政府が発動したのは2月26日だが、鈴木副大臣は納得していなかったようだ。

2月28日の鈴木宗男氏の国会質疑は、貴子氏と連携した動きと捉えることができる。宗男氏は、ウクライナ東部2地域に特別な自治権を与えることを定めたドイツ、フランス、ロシア、ウクライナ間の「ミンスク合意」を持ち出し、「(ミンスク合意に基づく)独仏の話し合い提案にプーチンは乗ったが、最後まで抵抗したのはゼレンスキーだ」と、ウクライナ大統領を批判してみせた。

もちろん、ウクライナ政権側にも全く非がないとはいえないだろうが、いかなる理由があろうと、他国を侵略する行動は許されない。なぜ鈴木氏はここまでプーチン大統領を庇うのか。

森喜朗元首相から始まる“親プーチン政権”の系譜をたどると、そこに宗男氏が深く関与してきたことがわかる。

プーチン氏が選挙に勝って大統領に就任する直前の2000年4月29日、当時の森喜朗首相は彼に会うため内閣官房副長官、鈴木宗男をともなってサンクトペテルブルグに赴いた。

森氏は4月5日に首相になったばかり。鈴木氏は官房機密費から引き出した1億円を持参していた。このときのことを森氏は誌上インタビューでこう語っている。

「プーチン大統領は非常に喜んでくれた。日本の歴代首相は就任後、真っ先にアメリカを訪問することが多いが、僕の場合は最初にロシアを訪問したからなんだ」

1億円を何に使ったのかは知らないが、その年の9月にはプーチン大統領が来日し、森氏との蜜月をアピールしている。

ロシアのイルクーツクで行われた日露首脳会談における二人の交流ぶりを、元時事通信記者、名越健郎氏がその著書「独裁者プーチン」で次のように書いて
いる。

01年のイルクーツクでの日露首脳会談でプーチンは、イルクーツク郊外のシェレホフ市に、姉妹都市提携に尽力した森喜朗首相の父、故森茂喜元石川県根上町長の分骨を納めた墓があることを知り、「これから一緒に墓参に行こう」と提案、墓前に花束を捧げた。森氏はこれで、いちころだった。

このイルクーツク会談にも、鈴木宗男氏は同行した。自民党総務局長だったにもかかわらずである。

1990年に外務政務次官に就任して以降、鈴木氏は外務省に強い影響力を持っていた。北海道選出の議員であり、北方領土問題は彼のライフワークといえる。

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