異なりすぎる命の重さ。ウクライナ以外の地の紛争で死を待つ人々

 

エチオピア ティグレ州 複雑な民族構成による衝突 35万人が飢餓状態

エチオピアでは、政府軍と北部のティグレ州を根拠にするティグレ人民解放戦線(TPLF)との武力衝突が2020年より続く。

TRLFは、2021年10月末にエチオピアの交通の要所であるアムハラ州のコンボルチャを奪取、首都であるアディスアベバへの侵攻をほのめかしたことをきっかけに、首相が国土全体に非常事態宣言を出す(*2)。

これを受けて、アメリカをはじめ複数の国が自国民を対象にエチオピアからの退避命令を出した。一方、人道支援に取り組む国連職員が現地で拘束されるなどした。

国連人権高等弁務官のミチェル・バチェレ氏は、ティグレ州の一般市民が集団レイプを含む、「極度に野蛮な行為にさらされている」と発言(*3)。

武力衝突が起きた背景には、エチオピアの民族構成がある。エチオピアは80を超える民族が存在する多民族国家。

その最大勢力は、首相のアビー氏の出身民族であるオロモ人で、40%を占める。つづいて、アムハラ人が27%、ソマリ人とティグレ人がそれぞれ約6%、シダモ人が4%。

つまり、TPLFを構成するティグレ人は構成比率6%の少数民族に過ぎなかった。ただ、ティグレ人はマイノリティーでありながら、20世紀終わりから近年にかけ、エチオピアの政権の中枢を占めてきた。

エチオピアでは、1974年に皇帝による政治が崩壊して以降、軍事政権が、旧ソ連の後ろ盾を得て、社会主義政策を進めてきた。

しかし、ソ連の崩壊とともに軍事政権も弱体化、それを好機として反政府勢力が首都を攻め落とし、政権を奪う。

このときの反政府勢力であるエチオピア人民革命民主戦線のリーダーが、TPLFを構成するティグレ人だった。

そのため、1995年から2012年まで、エチオピアではマイノリティーであるティグレの出身者が首相を務め、また要職を固めてきた。

一方で、多民族側は不満を強める。

とくに最大民族であるオロモ人の中には、民族の根拠地であるエチオピア南部のオロミア州の分離独立を目指すグループもあらわれ、今度はそのティグレ人を中心とする政府が「テロリスト」をして、徹底的に取り締まってきた。

2018年4月には、いったんはオロモ出身のアビー氏が首相に就任することで民族の融和が図れるも、今度は、政府内で、ティグレとオロモの力関係が逆転。中枢にいたティグレ人は相次いで要職を奪われ、対立が激化。

2020年9月に、ティグレ州の独立を狙ったとみなれる州議会選挙をティグレ人が強行したことをきっかけに本格的な武力衝突へと発展した。

国連は、昨年の6月時点で35万人が飢餓状態にあると分析。ジャーナリスとも前線に入り込むことが困難であり、そのため現地からの報道も少なくなっているのが現状だ。

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