人命軽視する“金の亡者”。葉梨「死刑ハンコ」大臣の笑えぬ自虐と無責任

 

元刑務官、坂本敏夫氏は著書『死刑のすべて』で、死刑を決める人間と、執行する者との没交渉ぶりをこのように書いている。

死刑を求刑した検事、死刑の判決を下した裁判官、死刑の執行命令起案書に印鑑を連ねた官僚と大臣を数えれば百人を超す。彼らは死刑執行の現場には一歩も立ち入らない。全くの部外者なのである。

そして、最終決断をする法務大臣については、このようなイメージを描く。

霞ヶ関の合同庁舎6号館、近代的な高層ビルにある大臣室の窓からは皇居、丸の内、日比谷一帯を見渡せる。この景色を見ながら果たして暗い陰湿な刑場を想像することができるだろうか。

東大法学部を出て警察官僚となり法務大臣にのぼりつめた葉梨氏に、死刑を執行する一刑務官の思いまで想像力は及ぶまい。しかし、それならなおさら、軽々しく“鉄板ネタ”のようにそれを扱うべきではない。

「死刑」に真摯に向き合った法務大臣として思い出されるのは、民主党政権時の千葉景子法相だ。二人の死刑囚の死刑執行を命じたあと、絞首刑の現場に立ち会い、刑場をメディアに公開した。過去に例のないことだった。

千葉氏は法相就任前まで「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属し、死刑廃止論者と見られていた。法相として国会で死刑廃止の是非を明言したことはないが、就任以来、検察庁、法務省を回議して上がってきた死刑執行命令書に決裁の署名をするのを拒んできた。

が、本人にとってはそれでよくても、法相としての責任はどうなる。そんな批判が強まるなか、法務官僚の説得を受け入れざるを得なくなった。

そこで、苦悩の末に決断したのが、死刑執行の立ち会いだった。千葉法相は記者会見で理由を語った。「自分の執行命令をきちっと確認する意味で立ち会った」。

死刑執行に立ち会うとは、どういうことなのか。

死刑囚に告知されるのはその日の朝である。かつては死刑の執行を2日前か前日には言い渡し、家族との最後の別れを惜しむ時間も許された。いまは、自殺防止のため、突然そのときはやってくる。独房から引き出されると、教戒室に入る。所長、検事、処遇部長、僧侶らがいて、所長が言い放つ。「残念だが法務大臣から刑の執行命令が来た。…お別れだ」

僧侶の読経がはじまると、目隠しされ、手錠がかけられる。カーテンが開き、露わになった刑場で首にロープをかけられ、足を下ろした瞬間、踏み板が落ち、体が落下する。隣室の壁に押しボタンが3つ。3人の刑務官が一斉にボタンを押す。誰が押したかは、わからないようになっている。

刑場とガラスで仕切られた立会い室に、所長、検事とともに千葉大臣もいて、自らが死に至らしめる決断を下した死刑囚の最後の瞬間を目撃したということだろう。よほど覚悟して臨まなければ心の平衡を保つことは難しかったに違いない。

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