蘇生した“安倍の舎弟”。統一教会疑惑の萩生田光一が党三役に就けた訳

 

こういう経緯をながめて、気になってきたことがある。今年8月10日の内閣改造で萩生田経産相が閣外に出て党政調会長に就く直前の同7日、岸田首相と会談した中身だ。

同8日の記者会見でその会談について問われた萩生田氏はこう語っている。

「昨日こういう時期なので、人事を含めたいろいろな話、意見交換をしました。(中略)私自身のことは、最終的に任命権者である総理・総裁が決定するのだと思いますが、1年経済産業大臣を務めさせていただいて(中略)こんな大変なことを人が替わって大丈夫なのかという思いがありますので、当然継続してやっていくことが望ましいのではないかと思っていますし、一部報道で骨格は維持すると出ていて、俺は骨格ではなかったのかという、そんな思いもございます…」

もちろん前日の岸田首相との話し合いで、統一教会との癒着問題を国会で追及されるのを避けるために閣外に出ることが決まったはずだが、その時すでに自分を政調会長にしてもらう約束をとりつけていたと思われるのだ。その余裕があるからこそ、「こんな大変なことを人が替わって大丈夫なのか」と、いかにも経産相ポストに未練があるかのような“三味線”を弾いたのではないだろうか。

岸田首相もまた、萩生田氏を政権中枢から外してしまえば、清和会をはじめとする党内保守勢力へのグリップが効かなくなることを恐れ、党三役の1人として残したのであろう。安倍氏の存在が果たしていた役どころを、萩生田氏の重用で補いたいとソロバンをはじいたのではなかったか。

この人事のあおりで、それまで政調会長だった高市早苗氏は内閣府特命担当大臣になった。組閣前夜に岸田総理から入閣要請の電話があったさい強く抵抗したものの受け入れられなかったという。総裁選出馬を後押ししてくれた安倍元首相も今はなく、清和会にも戻れずに孤立している高市氏が、岸田首相に軽んじられた格好である。

しかし一方で岸田首相には、安倍・菅政権を通じて長く続いてきた清和会支配の政治を終焉させたいという思いがなくはないだろう。その点からいえば、萩生田氏を政権中枢から放り出すことで清和会の勢力を削ぐという選択肢もあったはずである。

それができなかったということは、まだ安倍晋三という“信仰対象”が清和会のなかで生き続け、分裂の危機を脱して結束力を復活させるだけのエネルギー源として残っていると感じられたからに違いない。その“祭主”を捜すとすれば、萩生田氏に落ち着くと岸田首相はみたに違いない。

安倍元首相が凶弾に倒れた今年7月8日の午後1時過ぎ、経済産業大臣だった萩生田氏は、執務を中断し、衆議院第1議員会館12階の安倍事務所にかけつけた。その日のブログにこう書いている。

私を国政に導いていただいた恩人であり、かけがえのない同志であり、優しい兄貴でした。今は言葉になりません。

萩生田氏は明治大学在学中に八王子市議の私設秘書となり、青年会議所のメンバーとして拉致被害者の会の講演会に携わったことから安倍元首相と出会った。

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