桜の季節となり、春を感じるこの頃。日本人は古来から四季の移ろいを生活文化に取り入れてきました。今ではなくなってしまったものも多いですが、『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、高千穂神社の宮司さんが語った日本文化に基づいた「本来あるべき生き方」についての思いを紹介しています。
天地自然を崇拝し、生活を営んだ日本人
古来、日本人は季節の移ろいを敏感に感じ取り、それを生活文化として昇華させてきました。
『致知』4月号の「巻頭の言葉」では、日本神話ゆかりの地・高千穂神社宮司の後藤俊彦氏が「悠久なる歴史や日常の暮らしを見直し、本来あるべき生き方を考える」をテーマに思いを綴られています。
日本文化に基づいた本来あるべき生き方とはどのようなものでしょうか。
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年立ちてまづ汲みあぐる若水のすめる心を人は持たなむ
この和歌は年の始めを尊ばれた大正天皇の御製である。
昇る太陽も汲む水も常に変わらないが、私共はそれを新年には初日と呼び、若水と称たたえる。年が改まれば天地自然もまた神聖な命が蘇ると信じているからである。
「冬来たりなば春遠からじ」というが、1月から3月にかけて時は瞬く間に過ぎてゆく。日本人が季節の移ろいを感じとる感性が鋭いのは、変化に恵まれた四季の風土に生き、人と自然の間に一線を画すことなく一つの生命体として捉えてきたからだろう。
キリスト教にもイースター(復活祭)などの四旬節があり、自然を愛し尊ぶ心は世界の人々に共通しているが、それを五節句や年中行事として生活文化にまで昇華させてきたところにわが国の国風のようなものを感じる。
例えば、花粉が飛散し病気が流行りやすい3月は桃の節句である。わが国では伊邪那岐命が桃の実を投げて黄泉の国の悪鬼を追い払った神話等の記述から、古来桃には邪気を祓うとの信仰があった。
平安時代には紙や木片で作った人形で体を撫で、息を吹きかけて身の穢れや禍いを落とし、川に流して身を清める「流し雛」であったが、市民文化が成熟してくる江戸時代の中頃から観賞用の立派な雛人形が飾られるようになった。
5月は梅雨の季節で田植え月である。労働で疲れた身体を病気から守るために、この時期に根が薬用植物である菖蒲を刈り、軒に吊したり菖蒲湯に入ったりして無病息災の祈願をした。
菖蒲は尚武と音が同じことから、雛祭りに対して男子の節句として定着した。
このような行事は季節ごとの農耕生活の節目とも重なり、人々の健康を守り、稲の生育から子供の成長に至る大自然の生生化育に適っているように思われる。
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