自民にすり寄る立憲民主の惨状。呆れた「日米同盟が基軸」というおべんちゃら

 

米軍基地増強を阻止できなかった旧式の「護憲」論

それに対して旧革新の側が対置しえたのは「護憲」論であり、つまりは文言としての9条を死守することで平和国家の名目だけでも維持しようとする思いであった。なぜ「名目だけでも」なのかと言えば、すでに本誌が何度も書いてきたことではあるが、次の2つである。

1つには、旧革新は、第9条がある以上、自衛隊の存在そのものが違憲であり、ということは「あってはならないもの」であるからして、その具体的なあり様、すなわち年々の防衛予算の中身やそれに基づく自衛隊の装備や配備や運用について踏み込んで議論するのは「相手の土俵に乗ることだ」と言って回避するという知的衰弱に嵌ってしまった。そのため自衛隊がいつの間にか〔結果論として〕世界で実質第5位の軍隊に増長するのを許してきたのである。

2つには、安保条約そのものが違憲で「あってはならないもの」とする理念的な闘い方が退けられた後では、安保条約の下での基地騒音被害などの現象に対する抵抗闘争や補償訴訟に力を注ぐしかなくなり、そのため〔結果論として〕沖縄をはじめ全土で米軍基地を好き勝手に増やすのを阻止できなかった。

1996年の旧民主党が変えた「球の投げ方」

そこで、旧左翼でも革新でもない新しい「リベラル」の党の創出を目指した1996年の旧民主党は、球の投げ方を変え、「常時駐留なき安保」論を主要政策の筆頭に掲げた。

これは、旧革新のようにただ単に「安保破棄」を遠くから叫んでいるだけで結局は何をどうすることも出来なかったのとは違って、少なくとも当面、安保条約があるのは仕方がないものの、その運用を米国の言いなりに任せることなく、1つ1つの米軍基地について本当にそれが必要なのか、必要だとすればどのように使われているのか、情報開示を求めつつ厳しく交渉し、必要性のないものや薄いものから順に返還させ、必要性のあるものでも「有事にのみ駐留」できる権利を保証しつつも、全体として基地負担を可能な限り減らして「常時駐留なき安保」に近づけていくという考え方である。

その発想の元は、当時、沖縄の大田昌秀知事が掲げた「基地返還アクションプログラム」と、それによって返還された土地を活用してアジアとの共生拠点を建設する「国際都市形成構想」とにあった。沖縄が過大な米軍基地負担を抱え、その苦しみをいくら訴えようと本土政府は耳を貸さない。業を煮やした大田は、このアクションプログラムで、県内40カ所の米軍基地を5年ごとの3期に分けて使用頻度と必要性の低そうな所から交渉して順次返還させ、2015年までに全ての基地を返還させるという、まことにダイナミック(動態的)な考え方を打ち出した。その直後の95年9月、沖縄駐留の米海兵隊員3人による少女暴行事件が起こり、県民のみならず全国民が衝撃を受け、その中で96年の旧民主党結成に向け理念・政策の議論を始めていた我々は人並み以上に打ちひしがれた。そして沖縄の発想と構想力に学んで、安保がまだ存続している間でも決してそれを米日政府のやりたい放題に委ねるのでなく、全国の米軍基地のあり方をこちらから1つ1つ取り上げて吟味し、不急不要のものから順次返還させていくという毅然たる対米姿勢を外交の基本に据えることにした。

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