同じ竹中でも平蔵とはずいぶん違う。竹中彰元という立派な僧侶がいた

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戦争へと突き進んだ昭和初期の日本では、多くの宗教団体が軍部に追随し、戦争を肯定しました。真宗大谷派も宗祖である親鸞の天皇批判をなかったことにするなど、軍国主義に呑み込まれていきました。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、著者で評論家の佐高さんが、そんな時代にあっても「戦争は罪悪である」と説き続けて逮捕され、東本願寺本山からも厳しい処分を受けた真宗大谷派の竹中彰元僧侶を紹介。逮捕から70年経ってようやく本山による処分が撤回されるまでの経緯を記しています。

「戦争は罪悪である」と説いた僧侶

『丸出だめ夫』等のギャグ漫画で知られる森田拳次が描いた『がんこな坊さん』(クリエイティブ21)という本がある。「竹中彰元に学ぶ会」が文を書き、森田が漫画を描いた。副題が「戦争は罪悪である」。大日本帝国が戦争をしている最中に竹中彰元はこう説きつづけた。

竹中は岐阜県不破郡岩手村(現垂井町)の明泉寺の住職だった。明泉寺は豊臣秀吉の参謀として活躍した竹中半兵衛ゆかりの浄土真宗大谷派の名刹で、400年以上の歴史をもつ。勉強熱心な僧侶だった竹中は、宗祖・親鸞の「不殺生」や「兵戈無用」(兵隊も武器もいらない)という教えを学び、それに共鳴して、戦争に協力的な本山の姿勢に疑問を抱くようになる。

真宗大谷派だけでなく宗教界全体が勇ましい軍部に追随していたのだが、竹中の疑問は大谷派が親鸞の伝記である『御伝鈔』の中の天皇批判文を削除したことで頂点に達した。親鸞が、浄土宗の宗祖の法然や親鸞を弾圧した天皇やその部下を「教えに背く人たちだ」と厳しく批判した箇所は「天皇陛下万歳」の軍国主義の世の中では都合が悪かったのである。

1937(昭和12)年の日中戦争に、竹中がかわいがっていた門徒総代の息子が召集されるのを見て、遂に竹中は「戦争は罪悪である」と断言する。正義の「聖戦」だと教え込まれていた村人たちは驚き、警察にも知られるところとなって、竹中は造語飛語罪で逮捕されてしまった。

岐阜地裁は禁固4月の有罪判決を下す。自分は間違っていないと確信する竹中は控訴し、名古屋控訴院では禁固4カ月は変わらなかったが、執行猶予3年となった。当時70歳になっていた竹中に更に真宗大谷派が処分を下す。「軽停班3年」に「免布教師」である。前者は僧侶の位を3年間最下位に落とす処分で、後者は布教師の免許を取り上げることによって収入の道を断つものだった。

そして7年、竹中は病床で敗戦の日を迎える。孫の照子に、おじいちゃんは戦争に反対していたから今に表彰されるよ、と言われながら、2カ月後の1945年10月21日に亡くなった。享年77。

それから、新興仏教青年同盟に属し、やはり戦争に反対して投獄されたこともある林霊法という浄土宗養林寺の住職が訪ねてきたり、のちに大谷派の寺の住職となる大学生が卒業論文のために調べに来たりして、大谷派でも竹中を復権させなければという動きが強くなっていく。

そして、2005年に「岐阜県宗教者平和の会」が大谷派の本山の東本願寺に竹中への処分を取り消すように求める署名活動を始め、2007年9月25日にそれは正式に撤回された。

竹中の曽孫の第7代住職、竹中真明は「立派な人がいるな」で終わらせるのではなく、「戦争は罪悪である」という言葉は私たちに何を語りかけているかを考えなければならないのではないか、と訴えている。竹中平蔵とはずいぶん違う竹中彰元である。

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