英国よりも先。明治初期に「男女同権」を提唱した“憲法案”起草者の名前

 

米沢藩士の憲法草案

例えば、今の山形県米沢市を中心とする米沢藩は、前々からあった寄宿舎制の藩校「興譲館」内に明治4年に「洋学舎」を設立し、慶應義塾から欧米の政治事情に詳しい日本人教師と英国人語学教師を迎えて藩士を教育した。

その設立に貢献したのが当時20歳そこそこの藩士=宇加地新八で、彼は明治2年上京して福沢諭吉の「慶應義塾」に学んだ後、近藤真琴の「攻玉塾」で数学を学びつつ、同時に英学と「十八史略」を講じる教員も務めたという大秀才。その宇加地が、明治7(1874)年7月に政府に「建言書」を提出したが、これは、畑中章宏『忘れられた日本憲法/私擬憲法から見る幕末明治』(亜紀書房、22年刊)によれば「最も早い時期の私擬憲法」の1つである。

私擬とは私案で、上述の幕府の蕃書調所などで論じられていたものとは次元を異にして、純粋に民間人が起草した憲法案の意味である。同書によると、漠然たる国家像という域を超えて、それなりに体系的に項目を立ててこれから建てるべき国の形の骨格を示した「憲法案」と呼べるものは、これまでに確認されている限りで90以上あるが、その中で最初期のものが宇加地の建言書である。その主な柱は次の通り。

▼国の政体には「一君独裁(絶対王制)」「立君立法(立憲君主制)」「共和同治(共和制)」があるが、このうち日本に相応しいのは「立君立法」である。

▼天子(とその政府)、上院(太政官)、下院(新設の民選議院)が天下を治める。

▼天子は内外政全般の大権を持ち、その地位は万世一系であるけれども、両院の同意なしにその権限を行使することはできず、また法案の拒否権もない。

▼実際の政治は、天使が任命した大臣・大将・省卿・参議からなる政府によって行われる。

▼政府は天子に誤りがある時は諫奏することができる。

▼議員には、天子や大臣の行状を論じることのできる「議事自由権」、「不逮捕特権」、「大臣への弾劾権」、冤罪を救うための「再審権」が保証される。

▼上院は官選、下院300有余人は民選で、下院の選挙権・被選挙権は原則「20歳以上の男女すべての天下百姓」に与えられるが、実際には、「農民100石以上、商人10両以上」の納税者と、県官僚・教師・区長に限られる……。

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