盛者必衰。終わる「日本の失われた30年」、始まる「中国の失われる30年」

 

3.理性的な政策を維持せず。中国が逃したソフトランディング

日本のバブル崩壊は不動産バブルの崩壊だったが、バブル崩壊後の不況は中国への生産移転でもたらされたものだ。日本のデフレは、中国生産が支えていた。

日本人はバブル崩壊を反省した。そして、贅沢を排し、中国製品を選んだのだ。その消費者のトレンドに流通小売業も製造業も従った。

その裏には、ウォール街と連携して、中国に投資させようという国際的な戦略が存在していた。その流れの中で、日本政府と商社と産業界は連携して中国投資を行ったのである。

量がまとまって、比較的簡単な仕事は全て中国に流れていった。日本に残ったのは、面倒で少量で納期が短い仕事だけだった。当然、多くの製造業者は淘汰された。それでも、一部の製造業者はオンリーワンの技術を磨き、先進国向けの高級品市場で生き残った。

次第に、商社も産業界も中国生産ビジネスは儲からなくなっていった。中国の生産コストは上がり、アセアン諸国が台頭してきたのだ。

日本の多くの企業は、最初の反日デモが起きた2005年あたりから、中国生産の一極集中を危険視するようになった。分散と中国撤退を考えていたと思う。

それでも、中国政府が政治と経済を切り分け、理性的な政策を維持すれば、日本企業を含めて海外企業の撤退はこれほど急激には起きなかっただろう。ソフトランディングが可能だったはずだ。

4.「かならず米国を追い越す」という慢心。脆弱な中国経済

日本の失われた30年とは、中国に生産を移転し、日本の製造業の売上と利益がそっくり中国に移管したことによって引き起こされた。

中国からの企業撤退、中国生産から国内生産への流れは間違いなく、日本経済を押し上げていただろう。失われた30年は終わろうとしているのだ。

中国は、これから失われる30年が始まるだろう。

中国は、改革開放政策以降、経済成長が続いていた。日本人は不動産バブルを心配していたが、中国人は、「我々は不動産価格が下がったのをみたことがない」と言っていた。そして、その経済的な地位は磐石であり、最終的には米国を追い越すと本気で考えていた。

考えてみれば、彼らは経済制裁を受けたことがなかった。世界は中国の味方であり、「世界の工場」である中国がなくなったら困るのは西側諸国である、と信じてしまったのだ。

これは大きな誤解だ。中国は最も効率よく儲けるための仕組みを考え、実践していた。会社に内部留保はほとんどなく、利益は経営陣個人に配分された。翌年の原材料の仕入れ等は全て借り入れで行う。

そして、商取引も前払いが原則なので、展示会で発注する時点で代金の半分程度を支払い、生産終了時点で残金を受けとってから商品を発送するのである。従って、資金ぐりに苦しむことはないのだ。

不動産も同様で、模型や図面を観た段階で購入を決め、不動産ローンを組む。そこから建設が始まり、不動産ローンの支払いも始まる。それでも、不動産価格が上がり続けていたので、マンション建設が完了した時点で、不動産を売却しても大きな利益が期待できたのである。

多くの経営者は、技術開発や基礎研究は時間がかかるので、金で買えばいい、と考えていた。その結果、原材料や部品を輸入し、組み立て加工で製品を輸出するというビジネスモデルが一般化していった。

世界の工場は、開発力がない金儲けだけを追求する組立加工工場であり、しかも、全てが借金で回っているという脆弱な構造だったのである。

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