人生においてなかなか思い通りにならない状況が続くと頼ってしまうこともある「自己啓発」の手法。しかし、その手法を用いることで「思ったことが現実になる!」と謳っているようなら、眉につばしたほうがいいのかもしれません。メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』著者で、「知的生産」に役立つ考え方やノウハウについて探究を続ける文筆家の倉下忠憲さんは、そもそもの前提「思ったことが現実になると幸福になる」に疑問を提示。小さな自分の世界の願望だけを追って、外の世界のことが欠落する危うさを伝えています。
理想を現実化しない
自己啓発の文脈では「思ったことが現実になる!」というメッセージが華々しく打ち出されています。ということは、思ったことが現実になるのは基本的に良いことである、という認識が一般的に存在しているのでしょう。小難しく言えば、自身の願望の達成は、アプリオリに善性を帯びていると信じられているわけです。
でも、本当にそうでしょうか。自分が願ったことが、そのまま現実になることが幸福や充実感に結びつくのでしょうか。あるいは、善いことにつながっているのでしょうか。
たとえば昔の私は「はてなブックマークで1000を越える」というような願望を持っていましたが、実際に達成したら待っていたのは虚無感だけでした。欲望を達成した結果がどうなるのかを、自分はぜんぜん見通せていなかったのです。
他にも「あれも食べたい、これも食べたい」という願望を満たしたら、いつしか体重計に乗るのが怖くなるでしょうし、異性にモテまくるという願望を満たしたら、悲惨な修羅場を経験することになるかもしれません。願望の充足は、必ずしもいいこととは限らないのです。
しかし、そうした批判的視線はまったくなきものにされ、「思ったことが現実になる!」というメッセージは形を変えてさまざまな場所にばらまかれています。これは行きすぎた個人主義の弊害でしょう。
とにかく「自分が」考えたこと、思ったこと、願ったことがよいものであり、それが実現されることが好ましいことなのだ、という観点では、自分の外にあるものがまったく想像されていません。いわゆる外部が欠落しているのです。
ままならない生において
人生なんて、基本的に思い通りにいかないものです。この世界を眺めてみてください。70億人の人間がいるとして、「自分」はその中の一人で、残りの69億9999万9999人は「他人」です。そうした世界で「思い通り」にいくわけありません。
「この世界は、基本的にままならないものである」
これはもう純然たる事実でしょう。だからこそ。
そう、だからこそ、私たちはいろいろな作意を持ち、技能を磨き、道具の助けを借りて僅かばかりの「思い通り」を実現しようとするのです。荒々しい自然の中に、ほんの小さな区画に作るビオトープ。それがセルフマネジメントといった分野で目指されている行為です。
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