虚しく思えてならない松井一郎の大仰な言葉
その昔、万国博覧会は、東西の文明が出会う舞台だった。明治政府がはじめて正式に参加した1873年のウィーン万博では、浮世絵、染織品、漆器、人形などの工芸品をはじめ、伊万里・瀬戸・薩摩焼などの陶磁器、そして仏像、楽器、刀剣、甲冑や生活用品にいたるまでジャンル分けされ展示された。
そこから生まれたジャポニズムと呼ばれる日本趣味や芸術的潮流が、その後、クリムトの独特な装飾的絵画や、印象派の絵画に影響を与え、アール・ヌーヴォやアールデコといった美術・デザイン運動に流れ込んでゆく。
1970年の大阪万博は、海外旅行経験の少ない当時の日本人にとって、ほとんど初めてといっていい諸外国との出会いだった。各国のパビリオンには、その国の伝統文化や新しい技術がつめこまれ、全てが新鮮だった。コンパニオンのファッションやエレガントなもてなしにも魅せられた。
だが、2025年に開かれる大阪・関西万博はどうか。「未来社会の実験場」をコンセプトに、ロボット、自動運転、空飛ぶクルマなど未来を感じさせる技術を見せてくれるのだろうし、興味深いのは確かだが、まったく想像できない世界ではなく、昔の万博のように新鮮な驚きを期待するのは、もはや難しい。来場者の大半を占めるであろう日本人が、東京ディズニーランドやUSJをさしおき、7,500円を注ぎ込んで大挙来場するのかどうかも疑問だ。
国と大阪府市、経済界が3分の1ずつ拠出する会場建設費は当初計画では1,250億円だったが、その後、1,850億円に増額されている。ロシアによるウクライナ侵略にともなう建築資材の高騰などで、さらなる上振れは必至だ。運営費も当初計画では約800億円だったが、人件費や物価の上昇などで大幅に膨らむと見込まれている。
それだけの巨費を投じる価値をもつ万博になるのかどうか。これまでのお粗末な事業運営を見る限り、「世界を驚かせるような万博」という松井一郎氏の大仰な言葉が虚しく思えてならない。
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