ほぼ「国民年金のみ」の人は、65歳になったらいくら年金がもらえるのか?

 

また、他の問題として、あまりにもいろんな年金制度が乱立していたため(国年、厚年、船員保険、国家公務員共済、公共企業体共済、農林共済、地方公務員共済、私学共済など)、昭和50年代からは年金制度を一元化していこうという動きになっていきました(昭和61年4月以降はそんな乱立していたものを全て国民年金の被保険者にして、65歳からは全員共通の老齢基礎年金を貰うように改正しました)。

旧時代、それぞれの年金が独立しておりましたが、年金制度の中では立ち行かなくなる制度が出てきました。

共済組合などは企業が独自に作ったりしますが、その産業が斜陽化していくと年金制度が続けられなくなってしまいます。

それが顕著だったのが国鉄共済であり、農林共済も同じく危機的になりその後に厚生年金に統合されていく事になりました。

どうしてこんなに年金制度が乱立してしまったのかというと原因の一つとしては、厚生年金の給付の低さでした。

厚生年金は昭和29年5月に再建されてからは昭和40年改正までは、せいぜい現役世代の給与の2割程度の給付でしたので、その頃から「厚年はあまりにも給付が低いから自分たちで共済作って高い年金にしよう!」として厚年から脱退して独自に共済を作る動きが加速していきました。

それが農林共済(昭和34年1月)、昭和31年7月からの公共企業体共済(たばこ、電電公社、国鉄)、昭和34年10月の新国家公務員共済、昭和37年12月の地方公務員共済、昭和29年1月からの私学共済へと繋がりました。

さらに中小企業団体が厚年から脱退しようという動きも出てきました(900万人の厚年被保険者のうち700万人が脱退しようとする)。

そうなると厚生年金がもう空中分解してしまいかねないので、なんとか魅力的な給付にするために昭和40年から急激に給付を上げ始めました。

本当は昭和29年の大改正の時に給付を上げたかったのですが、保険料上がるのはイヤ!っていう経済界からの抵抗に負けてしまって給付の改善ができませんでした。

どうしても給付を改善するという事は保険料も高くなるので、半額負担してる会社側としては抵抗するわけです。それにその頃は退職金もやってんのに、厚年の保険料も払うなんて二重保障だ!っていう事で抵抗されてしまったのです。

そのため、厚生年金は低い水準にならざるを得なくなり、それがいろんな年金制度を乱立させてしまう事に繋がってしまいました。

ただ、前述したように独自の産業が共済組合を作っても、時代の経過とともに斜陽産業になって年金制度を続けられなくなる危険があるわけで、いろんな共済組合が乱立する事は良い事ではありません。

よって、昭和59年4月に年金を平成7年までに一元化しようという事が閣議決定され(結局、平成27年10月にようやく一元化)、まずは第一段階として国民年金をどんな職業であれ全ての20歳から60歳までに適用するという事になりました。

どんな職業であれ全ての人がまずは国民年金に加入して、給付はみんな同じく基礎年金を受けるという事にして、その上乗せは過去の給料に比例した老齢厚生年金を受けるという形になりました。

冒頭で話した事に、国民年金の財政の危機がありましたが、国民年金は主に農業や自営業といった人が加入して支える制度でしたが、昭和61年4月1日からは全ての人が国民年金に加入する事により、全員で国民年金を支える制度へと変貌しました。

そのため、国民年金の財政は安定する事になります。

なんで厚年加入してる自分まで国年を支えるんだっていうふうにも言われたりしますが、国民年金は雇用者の親が受給してる事も多いので、彼らの親を支える意味で国民年金を支える事は当然であると考えられました。

さて、前置きが長くなりましたが、今回は老齢基礎年金の計算事例をいくつか考えてみましょう。

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