「誤解があったとすれば遺憾」を謝罪の定型句にする失言政治家の“大誤解”

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書き手や話し手であれば、受け手に真意が伝わらず誤解されるのは極力避けたいもの。メルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』著者で、朝日新聞の校閲センター長を長く務め、ライティングセミナーを主宰する前田さんは、どんなときに誤読が生まれるのか考えるにあたり、失言を指摘された政治家がよく使う言い回し「誤解があったとすれば、遺憾です」についてまず考えます。受け手に責任転嫁する不遜な言い回しを「謝罪」の言い回しとして乱用。元々言葉を吟味しない失言政治家たちによって誤解が誤解を生み、日常語としても浸透してしまうパターンの一つとして紹介しています。

誤読を招かない文章を書くために

どんな文章であろうと、誤読は必ず起こります。それは、読み飛ばすことに原因があったり、読み手の読解力が不足していたりなど、様々です。日常の中にあることばに対する意識によっても、左右されるものだからです。

失言を巡って、次のような発言を見聞きすることがあると思います。誤解があったとすれば、遺憾です。これを「謝罪」と取るか「釈明」と取るか。これによって、発言の意味は変わってきます。

「誤解があったとすれば」という言い方は、「~であったとすれば」という仮定で表現しています。つまり失言内容については「基本的に間違っていない」という意識が働いています。聞き手(読み手)が、話し手(書き手)の真意を理解していないということが前提になっています。

さらに「遺憾」ということばの真意も見えてきません。「遺憾」ということばは「申し訳ない」という謝罪を意味しません。これは「思っているようにならなくて心残りだ」という意味です。これも、失言については「自分の責任ではなく、思っていることがうまく伝わらず残念だ」という心残りを言っています。

それは聞き手(読み手)の問題か

つまり「誤解があったとすれば、遺憾です」は、全てを聞き手(読み手)の問題だとしているのです。ところが、これを「謝罪」とするところに、すでに誤解(誤読)があるのです。

話し手(書き手)も、意識するしないに関わらず、こうしたことばを使って「謝罪」の定型に置き換える作業を繰り返します。すると、この言い回しが定着して、こうした状況ではこうした言い方(書き方)をするものだという日常語となるのです。

通常使われていることばの中に、いくつもの誤解(誤読)の芽は潜んでいます。それをすべて取り除くことはできません。僕たちはことばの一つひとつについて、その意味を辞書で調べて理解することはしません。状況のなかで使われることばを「そうしたものだ」と理解しているからです。いわば日常の言語環境がことばの意味を生み育てていくからです。

「日本語の乱れか変化か」という論議が起こったり「最近の若者はことばを知らない」というステレオタイプの批判がおこったりします。しかし、それは日常の言語環境が大きく影響しているということを除いて話を進めることはできません。

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