【書評】川崎フロンターレがバナナを売って算数ドリルを作るワケ

 

駅や商店街などが水色の「フロンターレ色」で埋め尽くされていると言っても過言ではない、神奈川県川崎市。「川崎フロンターレ」はいかにして街の人々の信頼を勝ち取り、ここまで地域に浸透することができたのでしょうか。今回の無料メルマガ『ビジネス発想源』に、同チームのプロモーション担当者による、ある意味革命的なPRの軌跡が描かれた1冊が紹介されています。

無償という貢献

最近読んだ本の内容からの話。

1992年からワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学んだ天野春果氏は、1996年に帰国した。富士通川崎フットボールクラブはJリーグ参入を目指して「川崎フロンターレ」と名称を変更したが、その時に天野氏は初の生え抜き社員として入社し、地域密着を目指すホームタウン推進室に配属された。

しかし、川崎市はNECや東芝などの街でもあり、「どうして富士通のサッカー部を応援しないといけないんだ?」と、なかなか良い印象を持たれなかった。そして、等々力陸上競技場に行くと、「富士通社員用受付」というテントが設置され、富士通の社員証を提示するだけでチケットと小旗やメガホンまで無料でもらって入場し、イベントも全て広告代理店任せである様子を見て、「これは間違いだ。おかしい」と天野氏は考えた。

また、かつてスーパースターを集めてJリーグ草創期に最強と言われたヴェルディ川崎が、全国区の有名クラブということでホームタウンである川崎にはほとんど目を向けず、「あの頃のヴェルディは許せない」という川崎市民の声が大きかったことを強く感じた。

それならば、フロンターレはその真逆をやろう、徹底して川崎に目を向けるクラブにしよう、と天野氏は考え、地域密着の戦略を次々に打ち、川崎市民と地道につながっていった。

川崎市内にある商工会議所、美容組合、青年会議所、川崎浴場組合などの団体で会合や慰安旅行があればどんどん参加してメンバーと酒を酌み交わしながら仲良くなった。

クラブも地元にお金を落とす必要があるから、新年会、忘年会、印刷物の依頼などは必ず川崎市内の業者にお願いする。川崎市内で買い物をする時には必ず領収書をもらう。宛名を聞かれた時に「川崎フロンターレです」と答えるのが目的だ。

すると、次に同じお店を訪ねた時には、「ポスター、貼ろうか?」とわざわざ声をかけてくれる人もいた。そういう、最初は小さなつながりが、積み重ねていくことで確実にプロモーション企画を実現していくための大切なネットワークの拡大・強化へとつながっていった。

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