金だけ出したからではない。湾岸戦争で日本が評価されなかった訳

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湾岸戦争当時、同盟国アメリカの日本への要求は自衛隊派遣にあったことが、先日外務省が公開した外交文書で明らかになりました。多国籍軍に大金を拠出したにも関わらず、全く評価されなかった理由も人を出さなかったことにあるというのが通説化していますが、本当なのでしょうか。メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストの小川和久さんは、ドイツも軍は派遣せず、日本より少ない拠出金だけの支援にも関わらず評価されていたと指摘。外交の舞台でどういった態度が評価の対象になるか、日本の政治家もメディアも学ぶべきと訴えています。

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いまこそ学ぶべき湾岸戦争の教訓

外務省は12月22日、湾岸戦争から30年が経過したのを機に外交文書を公開しました。そこには、当時の日米両政府のやり取りの詳細が明らかになっています。

「1990年8月の湾岸危機を巡り、当時の米国のジョージ・ブッシュ(父)大統領が海部俊樹首相との日米首脳会談で、自衛隊派遣を事実上要求していたことが、22日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。翌91年1月に米国中心の多国籍軍がイラク攻撃に踏み切る直前、国際社会から日本が前例のない対応を迫られていたことが分かる。

 

海部氏は90年9月29日、ニューヨークで日米首脳会談に臨んだ。『極秘』と記された同年9月30日の外務省の公電によると、ブッシュ氏は会談で『日本の憲法上の制約は十分理解している』としながらも、『日本が軍隊(FORCES)を中東における国際的努力に参加せしめる方途を検討中と承知するが、そのような対応が有益だと申し上げておきたい』と発言した。(中略)

 

湾岸危機では、日本は多国籍軍に135億ドル(日本円で約1兆7500億円)の財政支援を行ったが、国際社会に『小切手外交』と呼ばれ、批判を浴びた。その後、人的貢献を求める声の高まりを受け、日本は停戦後の91年4月、海上自衛隊の掃海艇6隻を、イラク軍が敷設した機雷除去のため、ペルシャ湾に派遣した。

 

湾岸危機は、日本の国際貢献の転換点とも言われる。外務省北米局で勤務していた佐々江賢一郎・元駐米大使は『当時の日本外交は、米国の求めにどう応じるかを考えるばかりで受け身だった』とした上で、湾岸危機の『失敗』が『自衛隊を積極活用することに意味があると日本の意識が変わる契機となった』と指摘する」(12月22日付読売新聞)

公開された外交文書には米国側の言葉しか残されていませんが、実際のところ、このような日本の姿は米国側の目にどのように映ったのでしょう。日本のマスコミには、それを伝える報道はありません。

しかし、当時の米国側の国務長官ジェームズ・ベーカー三世の回顧録『シャトル外交──謀激動の四年』(日本語訳は新潮文庫)を読むと、米国が日本に注いでいた眼差しが一目瞭然なのです。

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