「叱る」という行為は、相手が変わろうとしていなければ無意味だ

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怒ることは簡単ですが、冷静に相手のことを考えて「叱る」という行為はむずかしいものですよね。しかし年齢を重ねると、自分の子や部下に対して「叱るべき立場」に立たされることは少なくありません。今回の無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では、著者で薬剤師でもあるの小原一将さんが、「叱る」という行為について分析・洞察しています。

最近怒ったり叱ったりしなくなったことを考えてみる

怒ることと叱ることは違う」とかなり昔のメルマガに書いた覚えがある。感情をそのまま表すことが怒ることであり、相手のことを考えて行うものが叱ることであるという考えは今でも変わらない。ただ、そもそも怒ったり叱ったりすることがあまりなくなったなと最近は特に感じている。

この前、とある集まりに呼ばれたので顔を出した。参加メンバーの中では私が一番年上だったので、他の若い人達はどんなものかと観察していた。ほとんどが小グループを作り、それぞれで話をして楽しんでいる。特に周りや私のことを気にするわけでもなく、それぞれがそれぞれの時間を過ごしているようだった。

「最近の若者は」といったような使い古された言葉を言うつもりはないが、このようなものなのだろうと納得はした。彼らは悪いことをしようとしているわけではない。だからといって良いことをしようとしているわけでもないのだろう。

ただ、その場を自分が楽しいように過ごす自分が楽しく過ごせる人と過ごす。その場をマクロな視点で考えているようには見えなかった。昔はこのような状況を見ると、感情を表に出すことも多かったのだが今はそうではなくなった。

その大きな原因の一つは、世の中多様な価値観の人が生活していて、考え方も違うし生きてきた環境も違うということが少しずつ分かってきたからだと思っている。私が良いと思う行動が他の人にとって良いと思うかどうかは分からない。そう考えると安易に怒ったり叱ったりしなくなったのだ。

それよりも、なぜそういった行動をとるのかといったようにその人たちを理解しようと思うようになった。叱るとしてもその後で良い。これについては自分自身が少し成長できているのかなと思っている。

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