竹中平蔵と橋下徹という“双子の弟子”を生んだ故・堺屋太一の大罪

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これまで「橋下維新と竹中平蔵氏のアブない関係。大阪は「パソナ太郎」に支配されている?」や「維新という「半グレ」政党に屈しなかった吉本女性芸人“魂の叫び”」などで、パソナと日本維新の会の繋がりの深さや、維新が政権に近づくことの危うさを訴えてきた評論家の佐高信さん。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、政権内に竹中平蔵現パソナ会長を引き入れ、橋本徹氏を政界に引き入れたのも今は亡き堺屋太一氏であったと暴露。維新の公認候補面接で竹中氏が委員長を務めた過去などを上げ、人間軽視の「バブル派経済論」の現在の頭目として2人を位置づけています。

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橋下平蔵で竹中徹

茶髪のタレント弁護士だった橋下徹を政治の世界に引き入れたのは堺屋太一である。元通産官僚で『油断!』の作家でもある堺屋は大阪万博の仕掛人だった。

橋下は『文藝春秋』2019年4月号掲載の「さらば我が師、堺屋太一」で、2007年秋に、堺屋から電話で面談を申し込まれ、帝国ホテル大阪の一室で初めて会った時のことをこう書いている。

「著名人の知り合いは多くないので、事務所のスタッフから、『堺屋太一さんから電話があり、会いたいとおっしゃっています』と聞いたときは正直、面食らいました。堺屋さんとは面識もなければ、共通の知人もいません」

スタッフによれば、「大阪が大変なことになっているから是非会いたい」とのことだった。ちなみに堺屋は大阪出身である。2人きりの4時間近くの面談の中で、堺屋は「橋下さんの人生の一部を大阪に使ってくれないかな」と言った。そしてまだ40歳になっていなかった橋下は、2008年1月の大阪都知事選挙への出馬を決意する。

それより前の1998年夏、小渕恵三内閣で経済企画庁長官となった堺屋は、竹中平蔵に電話して、こう口説いた。
「小渕内閣の新しい試みとして、経済戦略会議を創設することはご存じだと思います。ぜひそのメンバーとなって、会議を引っ張っていってほしいんです」

佐々木実の『竹中平蔵 市場と権力』(講談社文庫)によれば、この時の心境を竹中はこう語っている。

「私自身、政策を勉強した立場から見て、とくにアメリカの強力な政策システムと比較して、日本の経済政策のあり方に対しては、いつも切歯扼腕の思いでいた。その意味で、こうした機会が与えられることに対しては、基本的に前向きでありたいと思った」

つまり、橋下と竹中は堺屋の双子の弟子のようなものであり、橋下平蔵あるいは竹中徹だということである。この2人を引き込んだ堺屋の罪は大きいが、確か田原総一朗が司会のテレビ番組で一緒になった時、初対面のあいさつをしたら、「サタカさんが私について書かれたものはすべて読ませてもらっています」と返された。

それはともかく、かつて維新の衆議院議員選挙公認候補の面接試験で委員長をつとめたのは竹中だった。結局、維新のアタマは竹中なのである。

私は堺屋を長谷川慶太郎に始まり、竹中に受け継がれるバブル派経済論の中心選手に位置付けてきた。城山三郎や内橋克人、そして私はそれを厳しく批判してきたが、人間軽視でモラルを邪魔するバブル派経済論は橋下および維新によって具現化される。橋下を考える時には竹中を合わせ鏡にしなければならないのである。

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image by: World Economic ForumCopyrigh World Economic Forum / Photo by Natalie Behring, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

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